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アーキペラゴを探して

archipelago - 群島、島嶼、多島海、そのニュース。 脱領域への考察と情報

苦しみをなくす方法(1)

解脱は無理だったが、苦しみをなくす方法はある程度わかったのでシェアしてみたい。

正確には、「苦しみをなくす」というよりも「苦しみを少なくする」という表現になる。「解脱」したわけではないので、普通に暮らしていると何かに「執着」し「苦しみ」が生じる。その度に、苦しみをなくす方法に立ち返ることになる。

 

シェアしてみたいと簡単に書いてしまったが、説明の仕方が難しい。説明が簡単であれば、仏教にこれだけの宗派はなかっただろう。

まずは、仏教の最低限度の知識は抑える必要がある。そこから入ろう。

 

縁起の法則

これあればこれあり、これ生ずればこれ生ず

増谷文雄「釈尊のさとり」

 これがあるからこれがある、これが生ずるからこれ生ずるといったことである。この内容がいわゆるブッダの説いた「縁起」である。これだけで悟ってしまう人もいるという。これを引っくり返す。

 

縁滅の法則

これなければこれなし、これ滅すればこれ滅す

(同上)

 これがあるから苦しみがある、これがなければ苦しみはない。極論を言ってしまうと、この内容が「苦しみをなくす方法」である。だから、後はこの内容の細かな部分の完成度を高めて行く作業になる。「これ」、「ある」、「なし」、「苦しみ」のひとつひとつを突き詰める作業になる。

 

十二縁起

この縁起の法則が、有名な十二縁起に発展する。これも抑えておいた方がいいだろう。意味は、とりあえずは字面程度の理解で。

無明によりて行がある。行によりて識がある。識によりて名色がある。名色によりて六処がある。六処によりて触がある。触によりて受がある。受によりて愛がある。愛によりて取がある。取によりて有がある。有によりて生がある。生によりて老死があり、愁・悲・苦・憂・悩がある。このすべての苦の生起はかくのごとくである。

増谷文雄「釈尊のさとり」

 縁起の法則から十二縁起に至る過程には、もう少し簡単な法則があったのではないかと言われているが、おそらくそんな感じなのだろう。また、これを引っくり返す。

 

縁滅の法則

無明の滅によりて行滅す。行の滅によりて識滅す。識の滅によりて名色滅す。名色の滅によりて六処滅す。六処の滅によりて触滅す。触の滅によりて受滅す。受の滅によりて愛滅す。愛の滅によりて取滅す。取の滅によりて有滅す。有が滅すれば生が滅す。生が滅すれば老死が滅し、愁・悲・苦・憂・悩が滅する。このすべての苦の滅はかくのごとくである。

(同上)

縁滅の法則を「苦しみをなくす方法」に具体化している。 あらゆる場面で苦は生じるので、こちらの法則にリアリティがある。

 

しかし、雑念と煩悩が断ち難き凡夫には、これらの法則を覚えるだけでは片手落ちである。心には執着とか渇愛とかの貪りの機能があるからである。だから「無常・苦・非我」を知ることで対象から離れることが必要になる。

 

無常・苦・非我

277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 

278「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 

279「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 

中村元訳「真理のことば・感興のことば」

 

四諦

最後は、苦・集・滅・道のいわゆる四諦である。以上のポイントをおさえると四諦の理解も簡単なのではないかと思う。

 (苦)
比丘たちよ、苦の聖諦とはこれである。いわく、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。愁え・悲しみ・苦しみ・憂え・悩みは苦である。怨憎するものに会うは苦である。愛するものと別離するは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するものはすべて苦である。
(集)
比丘たちよ、苦の生起についての聖諦とはこれである。いわく、迷いの生涯を引き起こし、喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。すなわち、欲の渇愛・有の渇愛・無有の渇愛がそれである。
(滅)
比丘たちよ、苦の滅尽についての聖諦はこうである。いわく、その渇愛をあますところなく離れ滅して、捨て去り、振り切り、解脱して、執着なきにいたるのである。
(道)
比丘たちよ、苦の滅尽にいたる道についての聖諦はこうである。いわく、聖なる八支の道である。すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。

 

増谷文雄「釈尊のさとり」

 

以上の内容は、とりあえず、意味が分かっても分からなくても、暗誦できるぐらいまで記憶に留めるといいだろう。

 

参照図書
釈尊のさとり (講談社学術文庫)

釈尊のさとり (講談社学術文庫)

 

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

 

 

 

台湾特集の雑誌を見かけるとつい買ってしまう件

本屋で、台湾特集の雑誌を見つけるとつい買ってしまう。

近々に行く予定はなくても、つい買ってしまう。パラパラっと見てるだけで何となく楽しい。むかしは、香港とか沖縄がそうした対象だった。かの地で政治的な圧力が高まるとともに、無条件に楽しいということはなくなった。台湾にはまだ圧力を跳ね返すだけのパワーがあるように感じる。

買ったのは、ananの台湾特集。

 

ananの台湾特集

この特集は定評がある。定評があると言っても「自分の」定評なんだが。

ananは、一年に一回ぐらい台湾の特集を出していて、その度に、新しいスポットを載せる。そのスポットは、台湾通のスタッフやライターや読者が探しだしたもので、知らない所が多い。

台湾の場合は、適当に店に入って食べてもそれなりにおいしいので、「これは発見だ!」となる。新しい店がどんどん開発されるという仕組みである。

20年ぐらい前は、台北の油化街(ディオアジェ)は、観光スポットとしてはあまり紹介されていなかったし、台南の「度小月」も、風呂場の腰掛のような低い椅子しかないただの食堂だった。後ろにひっくり返って後頭部を打たないか心配になるほどの低い椅子だった。

 

2017年の台湾特集は、巻頭に土屋太鳳が台湾を訪れているページがあり、その後に、エリアごとのおすすめスポットとなっている。この構成は毎年だいたい同じで、2016年は小松菜奈だった。

おすすめのエリアに、雙連・赤峰街とある。ポツリポツリとお洒落な店が出来ているが、赤峰街は工場の多い下町である。

 

anan (アンアン) 2017/04/12[歩く、台湾。]

anan (アンアン) 2017/04/12[歩く、台湾。]

 

 基本、定番の店はあまり載せない方針のようだが、油化街で「夏樹甜品」は掲載されていた。ここの杏仁豆腐はおいしいのでもう何度でも食べたいということだろう。その通りだ。

 

anan(アンアン)2016/2/24号[雑誌]

anan(アンアン)2016/2/24号[雑誌]

 

 これは2016年の台湾特集。特筆すべきは、おすすめの豚まん屋を数多く紹介した記事である。台湾の豚まんは次元違いにおいしい。

 

この雑誌の特集は、しばらくすると小型のムック本で発売される。まったく同じ内容ではなく、女優のページを省いたり、新しい店を加えたりしている。これも何となく買っておいた方がいいかなと思って買ってしまう。よくできた商法だ。

 

 2016年版

アンアン特別編集 休日台湾 (マガジンハウスムック)

アンアン特別編集 休日台湾 (マガジンハウスムック)

 

 2015年版

anan特別編集 週末 台湾 (マガジンハウスムック)

anan特別編集 週末 台湾 (マガジンハウスムック)

 

 

その他にも、家庭画報、ミセスが台湾特集をしていた。

 

家庭画報の台湾特集

家庭画報は、トラベラーとかのワンランク上の台湾ですな。昔の香港的な扱いだけど、台湾の方が自然が美しいので、切り口はある。しかし、街中では高級なスポットと下町の対比がありすぎて、香港のように違和感なく高級なスポットを楽しめる訳ではないような気がする。下町は夜市を見るぐらいにしてあまり深く見なければいいんだな。

家庭画報 2017年4月号 [雑誌]

家庭画報 2017年4月号 [雑誌]

 

 家庭画報でも台湾。何を意味するのか。

 

ミセスの台湾特集
ミセス 2017年 5月号 (雑誌)

ミセス 2017年 5月号 (雑誌)

 

 タイトルが「台湾は楽しい」。ananと家庭画報の中間ぐらいか。 一青妙さんのインタビューも載っていたりする。これは買ってもいいかな。 

台湾特集の雑誌ミセス「台湾は楽しい」でのインタビュー|一青妙オフィシャルブログ「妙的日記」Powered by Ameba

 

台湾を特集した雑誌を見つけるとつい買ってしまうのは、台湾については、まだ知りたいことが多いのかも知れない。そして、そのような対象は年々少なくなっているので。

 

関連記事 

archipelago.mayuhama.com

 

瞑想とマインドフルネスの違い

 昨年、あるきっかけで、自分が輪廻していることに気づいてしまった。

たとえて言うなら、ヘッセのシッダールタの最後のページと同じ内容が見えてしまった。

 

彼の友シッダールタの顔がもう見えなくなって、そのかわりにほかのたくさんの顔が見えた。たくさんの顔、百も千もの顔の長い列、流れる川が見えた。それが現れては消えたが、みんな同時にそこにあるように見えた。そのすべてが絶えず変り、新たになった。が、そのすべてがシッダールタであった。魚の顔、はてしもなく苦しそうに口をあけたコイの顔、目を曇らせて死にかかっている魚の顔が見えた。生まれたばかりの、赤く、しわだらけの、泣き出しそうにゆがんでいる顔が見えた。
-人殺しの顔が見えた。彼が刃物を人間の腹に突き刺すのが見えた。-同じ瞬間に、その犯罪人が縛られてひざまずき、刑吏に刀で首をはねられるのが見えた。

出典:ヘッセ「シッダールタ」

 

シッダールタ(新潮文庫)

シッダールタ(新潮文庫)

 

 

これはたいへんなことになったと思った。

このままでは未来永劫、迷いの生を繰り返すことになる。

この事態への切実感は異常なほど高まり、1秒後には、身体の全細胞の情報をスキャンして、「解脱するしかない」という結論が導きだされた。0.5秒ぐらいだったかもしれない。走馬灯が駆け巡ったのだ。

近いのは、悟りという語感ではなく、解脱という語感だった。

解脱の方法は、仏教にしか説かれておらず、ぼくは、解脱へ至ることができるという瞑想への関心を高めることにした。

 

瞑想とマインドフルネスの違い

ひと口に瞑想と言っても、様々なやり方があるようである。そうした瞑想に関するテキストを読んでいると、たびたびマインドフルネスといった言葉が出てくる。

これまでもマインドフルネスという言葉は度々目にしていたのだが、瞑想に近い意味ぐらいだろうと思って気にすることはなかった。

しかし、解脱への切実感が高まると、こうした言葉もきっちりおさえておきたい気分になった。

ウィキペディアにはこう書かれている。

マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている内面的な経験および外的な経験に注意を向ける心理的な過程である。瞑想およびその他の訓練を通じて開発することができる。
マインドフルネスの語義として、今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることであるとか、特別な形で、意図的に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことであるといった説明がなされることもある。
マインドフルネス(mindfulness)という用語は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳であり 、サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素である。近年の西洋におけるマインドフルネスの流行は、概してジョン・カバット・ジンによって起こされてきたと考えられている。

マインドフルネス - Wikipedia

 

マインドフルネスとは、パーリ語のサティの翻訳とあるので「気づき」ということになる。

 

マインドフルネス瞑想とは

少し前のブルータスでも、禅(「みんなのZEN」)が特集されており、マインドフルネスについて触れているページがあった。

f:id:hamada_ichi:20170303164359j:plain

 石川:マインドフルネスという言葉を作って広めた人は誰ですか?
川上:言葉を作ったのはジョン・カバット・ジンですね。それは1970年代後半のことですが、それをブランディングして、市民権を得るまでにしたのはチャディー・メン・タンであり、グーグルですよ。マインドフルネスを商品化したのはグーグルだというのが、僕の見解です。
出典:「禅とZENとマインドフルネス、その境界線とは。」(ブルータス「みんなのZEN」)

ブルータスを読んで解脱を目指そうというのも、無明を極めた感があるのだが、解脱へのはてしない道程ゆえに、あえてスタートラインを下げてみてもいいのかもしれない。

 

BRUTUS(ブルータス) 2017年 2/15 号[みんなのZEN。]

BRUTUS(ブルータス) 2017年 2/15 号[みんなのZEN。]

 

 

 ところで、ウィキペディアとブルータスでも言及されるジョン・カバット・ジンとは誰なのか?

 

ジョン・カバット・ジン(英字:Jon Kabat-Zinn、1944年6月5日-)

マサチューセッツ大学医学大学院(英語版)教授・同大マインドフルネスセンターの創設所長。国際観音禅院(英語版)の崇山行願(英語版)に禅を師事し、ケンブリッジ禅センター(英語版)の創設メンバーとなった。仏教の指導者に修行法と教理を学んだ彼は、それを西洋科学と統合させた。彼は、人々がストレス、悩み事、痛み、病気に対応する手助けとして、マインドフルネス瞑想を教えた。 

ジョン・カバット・ジン - Wikipedia

 

ここで、マインドフルネス瞑想という言葉が出てくる。マインドフルネス瞑想とは何であろうか。

彼は心と体の相互関係に注目して研究し、慢性的な痛みやストレス関係の病気を持った人々のためにマインドフルネスストレス低減法(MBSR)を開発して現場に応用し、現代の健康科学に著しい貢献をした。

1979年にストレス低減センターでマインドフルネスに基づいたマインドフルネスストレス低減法を教え始めた。マインドフルネスストレス低減法は、患者が瞬間瞬間に注意を向けることにより、ストレス、痛み、病気に対応することを助けるために、瞑想とハタ・ヨガを組み合わせた、8週間の心理療法である。マインドフルネス瞑想は、参加者が健康を達成できる力、及び適切なことを行うことを助ける。彼とその仲間は、特にストレス下で、および免疫系統で、脳内で瞬間瞬間に注意を向ける結果、それがどのように感情を処理するかを研究した。

 

調べてみて、マインドフルネスとマインドフルネス瞑想が違うことがわかった。マインドフルネスは「気づき」で、マインドフルネス瞑想は「気づきの瞑想」だ。

 

このエントリーのタイトルを「瞑想とマインドフルネス」としているが、言葉の意味を正確に知ると、まるで意味をなしていないことがわかる。あらゆる現象を細かく分析していくと、すべてが実体をなしていないを知る。それがブッダの方法論。自我に実体がないというのもそのようなことだ。

 154  家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。

出典:ブッダ「真理のことば」

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

 

 

とにかく、マインドフルネス瞑想というのはジョン・カバット・ジンにより始められた現代的なメディテーションぐらいの捉え方でいいのだろう。

 

ブルータスには、googleとマインドフルネスという記事もあった。

googleとマインドフルネス

f:id:hamada_ichi:20170303164019j:plain

出典:みんなのZEN。 — Brutus No. 840 試し読みと目次 | BRUTUS 

  

マインドフルネス瞑想の効果に疑問符?

マインドフルネスで検索した記事に気になる内容があった。

「マインドフルネス瞑想のプログラムがほかの積極的治療(薬、運動、その他の行動療法)に勝る」というエビデンスは発見されなかった。

 出典:マインドフルネスとは何か 定義と実践方法 ―「いま、ここ」に集中する - decinormal

 

マインドフルネスはどうやら魔法の杖でないばかりか、「他のいわゆる普通の病院の治療のほうが効果がある」という程度の、世の中にあまたあるメンタルケア方法のひとつに過ぎないようだ。やらないよりかはぼちぼちマシだが、だからといって病気が治るかというとそうではない、という程度なのだろう。

マインドフルネス瞑想も商業化され、パッケージ化されると、こうした認識も生まれる。

 

なんとなくではあるが、マインドフルネスの方面では、解脱することはできないということが分かった。

やはり、解脱を求めるのであれば、東洋方面ということになるのだろう。

そんなことを思いながら、いよいよ座禅をしてみなければならないと思った。

 

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白黒フィルムを入れて宮島の大鳥居を見に行った

 白黒フィルが1本あまっていたので、カメラを持って宮島と尾道に行った。大鳥居を白黒で撮ろうと思った。

少し前は、こうした時間が出来ると沖縄へ行った。桜坂にハイアットが出来たぐらいから那覇に行くことは少なくなった。沖縄一択というわけではなくなった。

 

宮島へは、大阪からなので18きっぷがあればいいのだが、9月なので18きっぷの期間外だ。

ただ、新幹線で広島まで行き、山陽本線に乗り換え、宮島口が見えてくる感じは良い。

宮島口から少し歩くとフェリー乗り場があり、10分ぐらい乗ると宮島に着く。

宮島口には有名なあなご飯の店があるので、そこで弁当を買うのもいいかもしれない。宮島にはすぐ着いてしまうのでゆっくり食べる時間はないと思う。 

  

宮島に近づいてきた。

 

フェリーからの宮島

丁度潮が引いた時間帯で大鳥居の前に人がわらわら集まっている。ホテルに荷物を置いて大鳥居の近くに行ってみよう。

ホテルは新幹線の中で当日予約した。宮島もいちおう島なので、泊った方がその雰囲気はよく分かる。

竹富島なんかも泊った方が雰囲気が良くわかる。昔はどろぼうも警察もいないということで民宿の部屋には鍵がなかった(本当)。

今は、星野リゾートができてしまったのでダメだろう。建物も竹富島の集落に調和しているし、最終的には地元でも文句のつけようがないではないか。なぜダメなのか?

それは資本だからだ。資本を受け入れれば、やがて島をお金というひとつ価値感が支配するようになる。*1

 

宮島  

 

宮島の大鳥居1

潮が引いているので大鳥居の近くまで寄れる。すごい迫力である。

 

宮島の大鳥居2

ピントがあってなくて申し訳ないが、 大鳥居のディテールもものすごい迫力である。

  

 大鳥居から厳島神社を見る

 大鳥居から厳島神社を見る。

 

厳島神社から大鳥居を見る

 厳島神社から大鳥居を見る。

個人的には、潮が引いた状態の方が迫力を感じた。

 

厳島神社から大鳥居を見る2

カラーだとこんな感じ。

 

宮島で見るべきものは見たかという感じになったので、参道で焼きがきを食べる。

焼きがき

  この日はたしか、2016年8月31日だったけど、ほぼ9月の"september"なので「er」がついてるはずだが、おいしくなかった。

おいしい牡蠣もあった。

牡蠣のオイル漬け

牡蠣祝というカフェで食べた牡蠣のオイル漬け。一粒だけだけれど、身の詰まった高級なか牡蠣を使っていた。日は明るかったが、レモンのモヒートがあったのでそれを飲んだ。古民家を改装した店で、景色も素晴らしい。

牡蠣祝|KAKIWAI

 景色がいいのは先程の牡蠣祝この店と、天心閣という喫茶店。2店とも表通りから斜面を少し入ったところにある。

天心閣 || 宮島で自家焙煎コーヒーを供する伊都岐珈琲、sarasvati

 

この日は、地元の小さなお祭りがあるということで山の方に見に行った。

たのもさん

たのもさんというお祭りらしい。町内会や店で作った船を厳島神社から流すらしい。精霊流しのような感じだろうか。*2

 海に流すまで時間があるので、晩ごはんを食べることにした。

といっても、7時とか8時には、大方の店が閉じてしまう。 参道もシャッター通りになる。

夜の宮島参道

 ホテルの系列で居酒屋をやってるというので、そこに行った。旅館が多いので夕食つきだから、外食の需要は少ないのだろう。

紹介された店の料理は意外なほどおいしかった。カウンターに座れればといった感じではあるが。

あなご飯・ランチ・食事|宮島まめたぬき 【 公式サイト 】

そこで飲んだ川越(芋焼酎)の水割が2016年に飲んだ酒としてはベストに近いほどうまかった。酒がうまく感じる時はピークで、後は堕ちるだけなのだろう。ただ、底まで堕ちれば、それ以上堕ちないし、やがて上がることもあるかもしれない。

 

店を出て、厳島神社に行ってみると、たのも船は流し終っており、すっかり潮も満ちていた。 

夜の大鳥居

 島に泊る特典として、厳島神社に潮が満ちて行くを見れるというものがあるが、見逃してしまった。

朝にも潮は引くはずだが、それも見逃すことになるだろう。外界への興味が減じているのだろう。 

 

 

翌朝、宮島を少し見て廻ることにした。 

宮島の鹿

 ホテルを出て少し歩くと食堂の前で鹿がたむろっていた。 

 

鹿と修学旅行生

  修学旅行生も鹿に関心がある。

 

千畳閣

  厳島神社の山手に、千畳閣という寺があり、この内部が広々として気持ちいい。

 スマホで撮ったカラーの方が感じがわかる。

千畳閣2

 磨き抜かれた床に外界のグリーンが映る。

 

千畳閣の外廊

 外廊も立派だ。

 

宮島のロープウェー

  山側にはロープウェーもあり、高いところからの景色が望める。 

 

瀬戸内海の景色

  瀬戸内海らしい風景がひろがる。

 

ロープウェーで降りて、尾道へ向かった。 

 

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