新しい景色を見たいと思う場合もあれば、そうでない場合もある。喫茶店は、後者である。同じ景色を見るために、同じ店に通い続ける。シアトル系とかスペシャリティの店にも行くが、どちらかというと、昔ながらの喫茶店の方が好きだ。京都ではイノダコーヒ三条店に度々通う。
高倉健さんの訃報を、衆議院解散のニュースそっちのけで見ていると、健さんが、イノダコーヒ三条店に度々通っていたことを知った。すぐ近くには、本店があるけれども、三条店に通っていたようだ。その他にも、あとから出てきた、宝石のようなエピソードに目が釘付けとなった。
「僕がいちばん大切に思うのは心ある人としての生き方、一つのことを貫く生き方。そういう人間は少なからず孤独な作業に命をさらしている。その状況で揉まれに揉まれ悶え苦しんだ者だけがやさしくてしなやかな心を持つことができる」(「アサヒグラフ」1994年8月5日号)
健さんは、こういったことを考えながら、いつもコーヒーを飲んでいたのだろうか。そして、近くにある本店ではなく、なぜ支店の三条店に通ったんだろう。コーヒー好きの健さんだから、三条店の方が、本店より、微妙においしいと感じたからだろうか。それとも 、違う理由があるのだろうか。
健さんが頼むのは、デフォルトの砂糖ミルク入りではなく、砂糖なしミルク多めのカフェオレ仕様だったという。デフォルトのテイストが似合うのは、本店の重厚な雰囲気である。三条店は本店より自然光が明るい空間だから、たしかにカフェオレが良く似合う。
三条店のカウンターは、360度のドーナツ状ラウンドカウンターとなっていて、会話しようと思えば、誰とでも話すことができる。けっこう大きいカウンターなのでそういうシチュエーションはありえないけれど。
健さんは、実は、お喋りが大好きだったということだ。もしかしたら、誰かが真ん中でコーヒーを淹れて、それを囲みながら、みんなでお喋りができるイメージを空間化したような、三条店の丸いカウンターが好きだったのかも知れない。健さんの座る位置は決まっていて、店内が見渡せるほ中央付近の位置だったらしい。お喋りの中心となるような位置だ。人前にはあまり出ないけれども、お喋りが好きな明るい気さくな人柄と重なる。
かなりおこがましいが、僕も座る位置は決まっていて、だいたい一番手前の席に座る。健さんが座っていた席には、これからも座ろうとも思わないし、嬉しがって座ることもないだろう。ここ数日、健さんのいろいろなエピソードを読んで、強い引力を健さんに感じるのだけれども、やはりそこは一定の距離は保っておきたい。
京都に行ったら、イノダコーヒ三条店の同じ席に、僕は座るだろう。健さんの座っていた席は、京都人のことだから、これから空席であることが多いかもしれない。僕の座る席から、健さんの座っていた席は、たぶん良く見えると思う。健さんの指定席は、僕にとって、三条店の一番の景色になるだろう。マイノリティとしての生き方を尊重した健さんの不在を感じつつ、デフォルトの砂糖ミルク入りコーヒーを頼むだろう。
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