今月のポパイの特集に影響されて、街中から離れた山あいをトレッキングしていた。道すがら、印象的な二つの風景に出会った。ひとつは、トンネル。ひとつは、淵。
僕はトンネルの出口で立ち止まり考えた。
普通、僕たちは、トンネルを抜ければ、そこは光なんだと考えている。それは、結果を重視する考えだ。結果が良ければ、過程がどうであってもいいんだろうか。過程を重視し、過程が大事だと言う大人たちもいる。
暗いトンネルを死に物狂いで抜けても、草も生えていないような場所に辿りつくこともある。そのような闇の荒地に辿りつくことも、これからの社会状況では不可避なことかもしれない。
少し歩くと、左手に川が流れているのが見えた。やがて淵と呼ばれる場所に辿りついた。
水面は、淵の場所だけ、周囲の風景を写しこみ、強く光を反射している。淵は川の流れを受けても、深くためる容量があるため、水流の影響を受けにくい。だから、川の流れがあっても、水面はフラットである。鏡のように光を反射する。
淵は深さがあるから光を強く反射する。トンネルを抜けてもそこは光とは限らない。人生は結果がすべてではなく、過程が大事だと思いたい。結果も過程も闇だったとしても、闇が深いほど光は強く輝き、周囲を明るく照らすと思う。この淵のように。
このままトレッキングを続けよう。