アーキペラゴを探して

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異物が排除される社会の再編集は可能か

1.消え去った異物、妖怪たちの展覧会

現在、妖怪幻獣百物語という展覧会を大阪でやっていて、二部構成の展示になっている。第1章が「妖怪世界へのいざない」ということで、室町からはじまる百鬼夜行の絵巻や江戸期の妖怪錦絵がふんだんに見れる。第2章は「幻獣 河童や人魚たちの世界」ということで、烏天狗や人魚、鬼猫、件*1 他、数々の幻獣ミイラが確認できる。

<妖怪展>妖怪幻獣百物語

妖怪幻獣百物語 | Facebook


展示物の多くは、妖怪資料の収集家・研究家として有名な湯本豪一氏のコレクションである。百鬼夜行、頼光と土蜘蛛、頼政と鵺の版画など、日本人の構図力、造形力が、息をのむほど素晴らしい。鬼太郎、ポケモン、モンハン、モンスト、妖怪ウォッチ、現代まで脈々と続く妖怪ワールド。この展覧会で、妖怪市場がしばらく枯渇しないだけのリソースが充分にあることが分った。 

湯本豪一氏のコレクションは、『今昔妖怪大鑑』として出版されている。今後、拡大するであろう妖怪マーケットの隆盛にも重要な一冊である。 ポストカードといった付録もついている。

今昔妖怪大鑑 -湯本豪一コレクション-

今昔妖怪大鑑 -湯本豪一コレクション-

 

  

2.脳は今も幽霊を見る、けれども妖怪や幻獣は?

最近、幽霊は脳が作り上げており、人工的に幽霊をつくり出す実験に成功したという記事を読んだ。脳の部位である島皮質、前頭頭頂皮質、側頭頭頂皮質の3領域は、「自意識、動き、空間的位置の認識を司る部位であり、これらの感覚運動信号に混乱が起きたとき、いるはずのない何者かの存在を感じるとるという。」

幽霊は脳が作り上げている。人工的に幽霊をつくり出す実験に成功: カラパイア

 

去年にも同じような記事はあった。その記事では、人間の脳は超常現象を見やすいようにできているらしい。「限られた情報から素早く結論を引き出すという、生物としての生存に不可欠な脳の働きによって、時に存在しないものを誤って検出してしまうことがある」からだそうだ。


「幽霊は脳で見る」 超常現象の不思議 :日本経済新聞

 

こうした記事は風物詩のようにたびたび出る。カラパイアだけでなく、日経新聞も興味を示している。内容的には、幽霊や超常現象があらわれる理由を脳のメカニズムによるものとしている。しかし、脳が見るのがなぜ幽霊や超常現象なのかについては答えていない。妖怪や幻獣はどうなったんだろうか。脳が妖怪や幻獣を見ることはなくなったのだろうか。

 

学問的にはどうなっているのか。こうした研究はたくさんあると思われるので、素直にグーグルの検索順位第一位からピックアップしてみる。2014.9月の福岡大学のプレスリリース。そのものズバリの記事だ。


妖怪や幽霊を学問する - プレスリリース|福岡大学

 

まず、学問的な説明としては、「妖怪たちは自然への畏敬心が形象化されたもの」、「幽霊も妖怪も、人々の想像力によってつくりあげられた文化的な創造物」ということである。読んでいると、妖怪が撲滅され、幽霊が生き残るくだりが書かれていた。

 

妖怪が撲滅された理由として、

先生:明治時代に欧米の文化がどっと流れ込み、生活文化でも近代化が進みます。近代化とは、科学的・合理的な思考の教育によって達成されます。そこで、明治以前の文化は非科学的な迷信に満ち満ちたものとして廃棄されることになりました。そうすると、妖怪は非科学的な迷信の最たるものですよね。妖怪が撲滅の憂き目にあったのは、そういう理由からです。


これは、妖怪が現れる舞台となったのが、自然の中であったことと関係する。まさに、トトロのストーリーである。

幽霊が生き残る理由としては、「近代は、ことさら「私」や「自我」を強調する時代」としながら、

先生:はい。あくまで類型化、キャラクター化されたに過ぎない存在であった幽霊に、近代的な「自我」や「私」という性質が与えられることになる。幽霊が個性を持つ時代が到来したと言ってもいいでしょう。だからこそ、近代以降、今に至るまで、幽霊が生き残っただけではなく、むしろ元気に増殖した(笑)。私たちが想像し、創造する幽霊は、近代的自我観や「私」の産物かもしれません。

学問的にも、幽霊は生き残るかも知れないけど、妖怪は消えようとしているようだ。先の記事でも、脳がつくりあげるのは、幽霊であって、妖怪ではない。やはり、現代は、妖怪や幻獣を幻視することはなくなったのだろうか。少し前までは、ネッシー、ヒバゴン、ツチノコ、スカイフィッシュが未確認動物(UMA)とされ、存在の可能性があるとされた。

 

3.ボルヘスが編集する幻獣たちの世界

南米の知の巨人 ホルヘ・ルイス・ボルヘスが共著で書いた『幻獣辞典』という本がある。この辞典には120種類ほどの古今東西の幻獣が載っている。世の中からUMA感が薄まってきたなと感じると、ムーの他にも、この辞典を本棚から取り出して読んでみる。 

幻獣辞典 (晶文社クラシックス)

幻獣辞典 (晶文社クラシックス)

  • 作者: ホルヘ・ルイスボルヘス,マルガリータゲレロ,柳瀬尚紀
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 1998/12/25
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 一番最初の幻獣が、ア・バオ・ア・クゥー。この幻獣が得体知れない。描写にリアリティーがあり、いつもこの一頁めで満足して本を閉じる。少し引用。

勝利の塔の階段には、時のはじまり以来、人間の影に敏感なア・バオ・ア・クゥーという生き物が棲んでいる。これはたいてい最初の段で眠っているのだが、人が近づくと、なにか内に秘められた生命がそれに触発され、この生き物の内部ふかくで内なる光が照り輝きはじめる。同時に、そのからだと半透明にちかい皮膚が動き出す。だがア・バオ・ア・クゥーが目をさますのは誰かが螺旋階段を登りはじめてからだ。

 

ア・バオ・ア・クゥーの他に、この幻獣辞典に登場する幻獣たち。

ア・バオ・ア・クゥー / アブトゥーとアネット / 両頭蛇 / カフカの想像した動物 / C・S・ルイスの想像した動物 / ポオの想像した動物 / 球体の動物 / 六本足の羚羊 / 三本足の驢馬 / バハムート / バルトアンデルス / バンシー / バロメッツ / バジリスク / ベヒーモス / ブラウニー / ブラク / カーバンクル / カトブレパス / 天空の雄鹿 / ケンタウロス / ケルベロス / チェシャ猫とキルケニー猫 / キマイラ / 中国の竜 / 中国の狐 / 中国のフェニクス / クロノスあるいはヘラクレス / C・S・ルイスの想像した獣 / クロコッタとリュークロコッタ / ある雑種 / 分身(ダブル) / 東洋の竜 / 死者を食らうもの / 八岐大蛇(ヤマタノオロチ) / 釈迦の生誕を予言した象 / エロイとモーロック / エルフ / フェアリー / ファティストカロン / ガルーダ / ノーム / ゴーレム / グリュプス / ハニエル、カフジエル、アズリエル、アニエル / 雷神、ハオカー / ハルピュイア

これで約半分の幻獣。チェシャ猫やエルフのように、ファンタジーの知識で理解できるものもあれば、カーバンクルのように、そもそも幻獣なのか宝石なのか分らないものもある。思考もイメージもできない幻獣がある。

この辞典は好評なのか、いつのまにか『幻獣辞典』は新しいヴァージョンになったようだ。 目次が省かれ、より辞典らしく、どこから読んでもいいようなイメージで作られている。これなら、ア・バオ・ア・クゥーで止まってしまうこともない。

幻獣辞典

幻獣辞典

 

 

4.エピステーメーから消え去りつつある幻獣

ボルヘスと言えばフーコーの『言葉と物』の冒頭で引用された一節が有名である。「この書物(『言葉と物』)の出生地はボルヘスのあるテクストのなかにある。(中略) そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。」

動物は次のごとく分けられる。(a)皇帝に属するもの(b)香の匂いを放つもの(c)飼いならされたもの(d)乳呑み豚(e)人魚(f)お話に出てくるもの(g)放し飼いの犬(h)この分類自体に含まれているもの(i)気違いのように騒ぐもの(j)算えきれぬもの(k)駱駝(らくだ)の毛のごく細の毛筆で描かれたもの(l)その他(m)いましがた壺をこわしたもの(n)とおくから蝿のように見えるもの。

いましがた壺をこわしたもの!  とおくから蝿のように見えるもの!  ボルヘスの幻獣辞典よりも更に理解できない。フーコーは、現代人がボルヘスの引用を理解できないのは、それを理解するエピステーメーがないからだという。エピステーメーとは、その時代の思考の前提となるような知の台座である。 

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学

 

 

エピステーメーの更新により、消え去ってしまう概念もある。例えば、妖怪や幻獣だ。妖怪や幻獣どころか、フーコーは『言葉と物』の最後を「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」と結ぶ。

『言葉と物』では、エピステーメーはその時代に固定化されたものとして扱われていたが、『知の考古学』では編集されつつあるものとして扱われる。wikiには『知の考古学』を引用し、次のように書かれている。

『知の考古学』においては、フーコーは『言葉と物』の議論をベースにしつつも発展させた議論を展開する。ある時代の社会を支配するメタ知構造である「エピステーメー」は存在しつつも、それは社会を構成する人々の生産した知識によって、変化したり、増幅したり、破滅したり、様々に変化する、というものである。メタ知識である「エピステーメー」も、多くの人々の生産する知識の総体が、発話(Discourse)される事により、促進もされ、変化し、それを破滅させて新しいエピステーメーを作る可能性も開く。(wiki)

エピステーメーが編集され続けるということにチャンスがあると思う。

知の考古学 (河出文庫)

知の考古学 (河出文庫)

 

 

「自我」や「私」に関係あり、それを表現するものとしてユースフルな幽霊は、幻視の対象として残りそうだ。マーケット的にはユースフルでも、「自我」や「私」に直接関係のない妖怪や幻獣は、幻視の対象としては、このまま消え去ってしまうのか。妖怪や幻獣は、近代的な「自我」や「私」から外れた異物と言い換えてもいいかも知れない。

 

5.異物は波打ち際の砂の表情のように排除されるだろうか

2014年11月現在、人間の概念がより薄まって行くのを実感する。現代が求める「自我」や「私」の概念に適合しない人間は、異物や異端として社会の表面上から排除されるかも知れない。異物が排除されるデオドラントな社会の進行は、人々が妖怪や幻獣を幻視しなくなり、エピステーメーから消え去ろうとしていることと関係しているのではないだろうか。

異物が排除される社会として、最近では「漂白される社会 」という言葉を目にした。また、以前から「デオドラントされる社会」*2 や「異物排除社会 」ということが言われ続けている。いずれも、社会の異物やマイノリティーが排除される社会に疑問を投げかけている。

2004年に出版された『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』では、1998年頃から希望がなくなりはじめ、勝ち組と負け組の格差が拡大し、将来に希望がもてる人と将来に絶望する人が分裂している社会が指摘された。絶望が社会を引き裂く。

 

こうした断絶の事態に比べれば、デオドラントされる社会はまだ控えめに見える。一見、問題は少なそうに見える。その分、静かに水面下で社会は漂白されていくのだろう。格差拡大路線で、社会が引き裂かれるというたいへんな事態になっているため、妖怪や幻獣どころではないかもしれない。妖怪や幻獣の優先度は低いだろう。

 

6.デオドラント社会を書き換える新しい幻獣

妖怪を見たいから妖怪を見るのだと思っている。妖怪マーケットの隆盛は、マジョリティが暗黙に妖怪を見たいことを物語っている。巨神兵やエヴァンゲリオンは、いまだ類型化されていない怪物の類であると思う。エヴァの新作をつくるのは、自我と怪物をシンクロさせる最も難しい作業かもしれない。自我が、怪物を幻視しないデオドラント社会に進んで行くので。だから、新作の制作は最も重要な作業だと思う。多数の人間がそれを見ることを望んでいる。それも難しい可能性がある。 

 

しばらくは、異物が排除されるデオドラント社会は、より一層進展するだろうと思う。しかし、多数の押し込められた無理は、何らかの形で噴出する。そうした声が増え続ければ、規格に合わない異端を排除する社会は、どこかで逆転するのではないか。そして、異物を排除する思考傾向に逆らう術はあるのか。 

排除されたものたちが眷属となって出現する鍵は、再編集されつつあるエピステーメーである。見たいものを見る想像力が、エピステーメーの再編集に寄与するだろう。異物を許容できるエピステーメーにならなければ、このままだ。その指標のひとつが、消え去りつつある幻獣だと考えている。

幻獣がエピステーメーに再度組み込まれ、エピステーメーが書き換えられれば、異物を許容する社会の枠組みは拡がるのではないだろうかと考えている。現代の新しい幻獣を創造できるだろうか。

 

*1:「件(くだん)は、古くから日本各地で知られる妖怪。「件」の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている」 「西日本各地に伝わる多くの伝承では、証文の末尾に記される「件の如し」という慣用句は「件の予言が外れない様に、嘘偽りがないと言う意味である」と説明されることもあるが、実際には件が文献に登場するはるか前より「件の如し」は使われている」wikiから。

*2:宮崎学氏のwikiから。「異物が排除され、清潔な管理が実現されようとしている、「スーパーフラットな社会」に対する対抗があるとする。宮崎はその「清潔な管理」的発想を「デオドラントな思想」とも呼ぶ。」