書くこと。フランス語でエクリチュール。エクリチュールと聞いて、思い出すのは、『エクリチュールの零度』を書いたR.バルトと、書くことが生きることであったM.デュラス。
『エクリチュールの零度』は何度か読んでみたが、歯が立たなかった。内田樹氏のブログには、「エクリチュール論を理解することを通じてはじめて社会的階層化圧から離脱することのできる社会集団には届かないように構造化されていた」と書かれている。
エクリチュールの零度が何であるか、良く分からなかったけれども、デュラスのテクストには、エクリチュールの特異な状態を感じる。デュラスの小説を読むたびに、デュラスのエクリチュールに閉じ込められるような感じがする。
誰でも底に飲み込まれてしまうあの果てしない砂浜へは続いていないと思われるテクストが一つあるんです。『破壊しに、と彼女は言う』なんです。そこからは反対に一種の快活さみたいなものが湧き出ています (ミシェル・フーコー「外部を聞く盲目の人デュラス」)
— マルグリット・デュラス (@durasia_bot) 2014, 9月 10
デュラスは、小説『愛人 ラマン』で語られる時代に、ベトナムを立った後、生涯、訪れることはなかった。理由は、ベトナムはエクリチュールの中にあるからだという。この考え方によれば、読者も、ラマンで描かれたベトナムを確認するために、行く必要はないということになる。
ベトナムに行った時、ラマンに登場する地名を幾つか訪れてみた。
メコン河。河幅は、海のように広い。ラマンのエクリチュールに融合している。
メコン河の色。カフェオレに近い色。河の色は、空の色を写していると脳が認識しているため、写真では、知覚しにくい。波が立った時、河の色を写すことができる。
メコン河の渡し場。現在は、フェリーとなっている。小型から大型まで頻繁に発着している。写真の場所は、カントー。
渡し船から見たメコン河。船は仕様もデザインも当時とは違う。メコンは全く変わらない。
サデック。デュラスの家族が住んだ町。後で調べると、男の「青い家」は、まだ残っており、公開されているようだ。サデックには、明るく洋風の街並みがするものの、これといった見所はないので、欧米でのデュラス人気が良く分かる。写真は渡し場近くの建物。1920年と書かれている。デュラスが住んでいた当時の建物。
ラマンに登場した地名を実際に訪れてみても、記憶の中では、自分の旅の経験としては、独立していない。記憶が、いつも、ラマンのエクリチュールに関係づけられ、エクリチュールの中に呑み込まれている。だからエクリチュールと旅という言い方は適当ではない。フォロワーとしての旅の記憶でさえ、デュラスの場合、エクリチュールに回収され尽くされる。しかし、デュラスのエクリチュールに特異な現象なのかも知れない。
デュラスのエクリチュールのうちに入っていこうとし、このエクリチュールにおのれを縫い込めようと試みながら、おのれを失い、もはや其処から外へ出ることもできず、其処にとどまったままで、まるでひとが魅惑的な出遭いのうちで無言のままでいるかのように留め置かれてしまう (シルヴィ・ガニエ)
— マルグリット・デュラス (@durasia_bot) 2014, 8月 31
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