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日本のモダニズム建築から現代建築への潮流『建築は知っている ランドマークからみた戦後70年』

1月にEテレで『建築は知っている ランドマークからみた戦後70年』という番組をやっていた。ランドマークとなった建築を通して、様々なエピソードを交えながら戦後70年を振り返る内容。面白かったので備忘録的なメモ。 

建築は、時代を語る。
東京の代表的な昭和建築と、戦後のエポックメーキングな出来事とを重ね、時代に、時に寄り添い、時に戦った建築家の思考の跡を辿りながら、日本という国の歩みも浮かび上がらせる。

建築は知っている ランドマークから見た戦後70年 - NHK 

番組のナビゲーターは建築家 藤村龍至氏。誠実な語り口が良かった。番組の構成や意図は藤村氏のフェイスブックに書かれている。

藤村 龍至 - 昨日は「建築は知っている... | Facebook 

 

メモの内容としてはランドマークとして番組に登場する主な建築のリストと設計者、ウェブサイトのデータ、番組を見て思った個人的な感想等。写真はフリッカーからのシェアリング。ランドマークという視点で印象に残った写真を選んだ。(写真下部のクレジットをクリックすると作者のサイトへリンク)

 

第1章1945- 焼け跡からの飛翔

 神奈川近代美術館 (Museum of Modern Art, Kamakura)1951

kamakura museum of modern art
kamakura museum of modern art | Flickr - Photo Sharing!

Website:神奈川県立近代美術館<鎌倉館>

設計      :坂倉建築研究所 

 

ル・コルビュジェに師事した坂倉準三氏による設計。石を鉄骨の柱脚のように見せるディテール等どこか日本的なセンスが感じられる近代建築。2016年3月末で閉館の見通し(調整中)。戦後6年でこの建築がつくられたとは驚き。いま見ても斬新なデザイン。

 

広島平和記念公園(Hiroshima Peace Memorial Park)1956

Hiroshima Peace Memorial Park & Museum
Hiroshima Peace Memorial Park & Museum | Flickr - Photo Sharing!

Hiroshima Peace Memorial Park & Museum
Hiroshima Peace Memorial Park & Museum | Flickr - Photo Sharing!

Website:広島平和記念資料館

 設計      :丹下都市建築設計 

 

番組で丹下健三氏が原爆ドームは保存すべきと主張した手紙が紹介された。丹下氏の熱い一面が分かり興味深かった。「平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的につくり出していくものである」、(そのためにこの施設を)「平和をつくり出すための工場でありたいと願った」と丹下氏は語る。また「一番大事なのは、記憶を正確に正しく鮮烈に伝えていくことである」と語る。

番組の内容ではないが、現在資料館の展示内容が見直され、被爆再現人形が撤去されるという問題がある。被爆再現人形は分りやすいが、資料としては本物ではないということだ。そうなんだろうか。

広島平和記念資料館「被爆再現人形」の撤去に反対する | Facebook

 

第2章1958-上へ上へ

東京タワー(Tokyo Tower)

Tokyo tower

Tokyo tower | Flickr - Photo Sharing!

Website:東京タワー TokyoTower 

 設計  :内藤多仲 、日建設計 

 

東京タワーの鉄骨には、朝鮮特需の代価の一部だった米軍の戦車が使用されているエピソードが語られる。それでも、スカイツリーより東京タワーの方が好きだ。古くてひなびた感じの東京が好きなんである。ちなみに塔博士と言われる内藤多仲氏の設計したタワー六兄弟は覚えておきたいところ。

 

国立競技場(National Athletic Stadium)1958

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 140122_017_5D3_1905 | Flickr - Photo Sharing!

Website:国立競技場

設計:角田栄、片山光生

 

この場所で1943年に学徒出陣の集会があり、20年後にオリンピックが開催されたことが語られる。ランドマークというよりも場所性にバイアスがかかった内容。番組では建替問題には触れなかった。新国立競技場の問題については、賛成派も反対派もお歴々の建築家同士ということだから、政治との関係も含めて、日本の建築の学問にどこかフラジャイルな部分があることを暗に示しているのではないだろうか。

現在は、ようやく解体業者が決まったようである。比較的新しい記事をリンク。

「新国立競技場は建てちゃダメです」戦後70年の日本が抱える"リフォーム"問題とは【東京2020】

 

【1964年 東京オリンピック】

 

国立代々木競技場体育館(Yoyogi National Gymnasium)1964 

Tokyo - Harajuku: Yoyogi Koen - Yoyogi National Gymnasium

Tokyo - Harajuku: Yoyogi Koen - Yoyogi National Gymnasium | Flickr - Photo Sharing!

Website:代々木競技場

設計      :丹下都市建築設計

  

番組では映らなかったと思うが、NHKのビルから見ると競技場の屋根面がもの凄い迫力である。フリッカーでも発見できなかった。この競技場は実際見ると本当に凄い迫力なので必見。番組では紹介されなかったが、同じく丹下氏設計の東京カテドラルもきれいな建物なので必見だと思う。

  

新宿西口広場(Shinjyuku-west exit)1966 

新宿駅西口地下広場
新宿駅西口地下広場 | Flickr - Photo Sharing!

Website:新宿駅西口地下広場 - Wikipedia

設計      :坂倉建築研究所

 

新宿駅西口は、かつて学生集会が盛んに行われた広場だったという。1969年6月28日の反戦フォークゲリラ事件を機に、広場から通路に変更され、道交法により集会は禁止された。そして日本から広場はなくなり、関心が個の内面に向かうようになったと受け取れた。確かにシャルリーに関する大規模な反テロデモ行進は日本のパブリックスペースでは難しいだろう。あのニュースを見て思うのは、表現の自由というか民主主義と広場はセットなような感じである。日本では誰がそれを考えるんだろう。

 

 霞が関ビル(kasumigaseki building)1968

Kasumigaseki-building

Website:霞が関ビルディング 設計  :山下設計

 

1970年に世界貿易センタービルが建設されて、東京は超高層ビルがようやく二本になった。1971年の京王プラザホテルで三本目。1974年に新宿住友ビル、三井新宿ビルディングが竣工し、新宿副都心の景観が形成されていく。

 

 

第3章1972- 個の時代

中銀カプセルタワー(Nakagin Capsule Tower)1973

Nagakin Capsule Hotel - TOKYO JAPAN 2005
Nagakin Capsule Hotel - TOKYO JAPAN 2005 | Flickr - Photo Sharing!

Website:中銀カプセルタワービル - Wikipedia

設計  :黒川紀章建築事務所

 

メタボリズムの代表的作品。このビルは現在でも使われており、番組では保存プロジェクトを紹介。(後述)  設計した黒川紀章建築事務所のウェブサイトが見つからなかった。代わりに、先月民事再生手続きに入ったニュースが見つかった。カプセルホテルもメタボリズムの思想による黒川氏の発案と紹介されていたので残念に思う。

黒川紀章建築事務所、東京地裁に民事再生手続き 業界に驚き - withnews 

 

他には個の時代ということで、郊外型団地である椿峰ニュータウンが紹介された。計画や開発が無条件に良い環境を実現するものと信じられていた時代だったという。

上空から見た椿峰ニュータウンの歴史

 

 

第4章1973- 消費の夢

渋谷パルコ(SHIBUYA PARCO)1973

PARCO Shibuya
PARCO Shibuya | Flickr - Photo Sharing!

Website :渋谷PARCO

設計    :大成建設

 

ガウディのサグラダファミリアをイメージして建てられたという。言われてみると、単なる箱ではない。「街全体を劇場に」というコンセプトで街がつくられ、ひとりひとりがその主役だった。広告、イメージ、ショーウインドウ、消費社会に、街も呼応した。現在行われている「渋谷駅再開発=戦後日本建築史の成果とも言える」と藤村氏は語る。 建築が生活者よりの視点でつくられる事例としては、表参道の南青山FROM-1stビル(1975)も外せないと思う。渋谷建築の歴史参考記事(びっくりするほど詳しい)をリンク。

渋谷駅誕生からヒカリエまで、シブヤ建築の歴史|日経BP社 ケンプラッツ

  

サンシャインシティ(sunshine  city)1978

池袋3
池袋3 | Flickr - Photo Sharing!

Website :サンシャインシティ

設計  :三菱地所設計、武藤構造力学研究所

 

タワービルにホテルや水族館や劇場が併設されたひとつの都市。都市の中に都市をつくる最初の事例として紹介される。藤村氏はそれを「幕の内弁当」にたとえ、アークヒルズ、恵比寿ガーデンプレイス、その他もろもろに続く流れの原点に位置づける。ナレーションでは、このような開発を「小さいところにぎゅっと凝縮させる日本人の得意とするところ」と閉める。

フリッカーで「ikebukuro」と検索するとエッジの効いた写真がたくさんあり面白い。池袋はやはり独特なゲニウス・ロキを持つ場所だということが分る。見ててドキドキする。

 

 

第5章 1982-熱狂の中心で

東京ディズニーランド(Tokyo Disneyland) 1983

Tokyo Disneyland
Tokyo Disneyland | Flickr - Photo Sharing!

Website:東京ディズニーリゾート

設計   :(WED Enterprises)

 

番組ではディズニーランドの完成とバブル景気への突入が関連づけられている。正確には、ディズニーランドが完成した1983年はバブルではなかった。1985年9月のプラザ合意により急速な円高が進行し、それを緩和させるための金融緩和がバブルへの契機となった。1983年は安定成長が終ろうとしていた時期。シンデレラ城が戦後日本の安定成長の到達点であり象徴だったのかもしれない。

  

東京都庁(Tokyo Metropolitan Government Office)1991

Tokyo Municipal Government Bldg
Tokyo Municipal Government Bldg | Flickr - Photo Sharing!

Website:東京都公式ホームページへようこそ

設計      :丹下都市建築設計 

   

東京都庁竣工後数か月でバブル崩壊。日本は失われた10年もしくは20年に突入。

【1991年 バブル崩壊】

 【1995年 阪神淡路大震災】

阪神淡路大震災、オウム事件、ウインドウズ95の発売、時代の断絶と新しい胎動を感じた年。

 

 

第6章1995-断絶の時代

郊外型ショッピングモール 

イオンショッピングモール市野
イオンショッピングモール市野 | Flickr - Photo Sharing!

 

列島改造により地方の隅々まで道路と鉄道が延びた。その結果、日本のロードサイドの多くにファスト風土が出現した。番組では、ファスト風土という言葉は使用されず、郊外型ショッピングモールという言い方をしていた。消費に対する欲求とモータリゼーションと集客性を追い求めていったら、人の奪い合いとなり、こうした風景があちこちに出現してしまったという論調を感じた。郊外の風景はファスト風土として社会学やサブカル的な文脈では良く論じられているけれど、専門である建築や都市計画の分野ではどの程度研究が進んでいるんだろうか。ファスト風土は建築ジャーナリズムで取り上げられる建築よりも大きな影響を日本人に与えていると思う。 マイルドヤンキーが好む様式美とロードサイド建築の関係など。

ファスト風土化 - Wikipedia

 

六本木ヒルズ(Roppongi Hills) 2003

A spider, Roppongi Hills, and the tip of Tokyo Tower
A spider, Roppongi Hills, and the tip of Tokyo Tower | Flickr - Photo Sharing!

Website 六本木ヒルズ - Roppongi Hills

設計   :森ビル・入江三宅設計事務所・KPF・ジョン ジャーディ・槇文彦

 

真四角な箱ではなく、折り紙と甲冑をモチーフにした外観デザイン。番組では「CADシステムが可能にする人の感性に響く複雑な形態が集客と消費行動を促す」と解説。ヒルズ族を生み出した。リーマン・ショック頃まではまさにTokyoの象徴って感じのビルだった。最上階付近にある外国投資会社のフロアだけひと晩中照明がついているようなイメージがあった。

 

ハウステンボス(huistenbosch)1992

長崎ハウステンボス Huis Ten Bosch in Nagasaki, Japan #9
長崎ハウステンボス Huis Ten Bosch in Nagasaki, Japan #9 | Flickr - Photo Sharing!

Website:HTB|ハウステンボスリゾート 設計  :日本設計  

 

一時は会社更生法を申請するほどの状態だったが、ヒット企画やアジア人旅行客の増加で復活。番組では池田武邦氏のエピソードを紹介。霞が関ビルディングの担当でもあった池田氏のハウステンボスへの関わりは、当時は本物志向の建築家からは理解されなかったという。しかし、もともとは軍用地だった敷地を地球環境を考えた最先端のエコシティとして生まれ変わらせた。現在も今後とも地域経済の要となっている。
2015年はインバウンドツーリズム元年と呼ばれることもあり、ハウステンボスの価値はますます高まるのではないか。現代の日本でオーセンティックを問う意味は何か。

  

【2011年 東日本大震災】

 

第7章2011- それでも建てる

中銀カプセルタワーの維持管理 

nakaginctb04f.jpg
nakaginctb04f.jpg | Flickr - Photo Sharing!

 

資本主義的にはスクラップ&ビルドなのかもしれないが、消費一辺倒というのは日本的ではない。日本人は基本的に物を大事にする。曲面ガラスや新素材を使った建築はハイアートのようであるが、今の感じではない。中銀カプセルタワーのような古くて使いづらそうな建物でも、しっかり考えられて作られた建物を、愛着を持って手を入れながら使っている姿を見ると気持ちいい。

資本主義の結果である格差社会には東急ハンズ的な等身大のメタボリズムが必要ではないかと思った。残ってほしい建築。

 

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中銀カプセルタワー応援団 - livedoor Blog(ブログ)

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 (追記)

「中銀カプセルタワー」 揺れる命運 建て替えか保存か - Yahoo!ニュース

 

番組は藤村氏が関わるプロジェクトの話で終わる。住民参加プロジェクトや環境を考えたヒューマンスケールな施設の紹介。

 

番組では時代の証言となるようなランドマーク建築を通して戦後70年が概説された。シャッター通りやファスト風土、渋谷スクランブルでのハイタッチに言及していたのも良かった。

個人的に欲を言えば、福島第一を扱って欲しかった。映像でしか見たことはないが、強烈に印象に残った建築である。現行の問題なので扱いづらいのかも知れないが。2011年3月にあの爆発を見て、建築に対する意識が完全に変わった。 

 

※この番組の再放送の予定は今のところないようだ。NHKオンデマンドでもコンテンツになっていないようだ。再放送とオンデマンド化を要望。

(追記)2015年5月3日に再放送された。

  

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