アーキペラゴを探して

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コザ十字路から諸見百軒通りまで1950年からの連続性を歩いた

六曜舎のスパイシーフライドライスを食べにコザ行きのバスに乗った。小一時間ほどでコザ十字路に着いた。 

コザ十字路のスパイシーフライドライス 

コザのバス停

1970年代前半、横浜にいたこともあり、限りなく薄くソウルフードに馴染んでいた。だから是非とも六曜舎のスパイシーフライドライス食べたい。かつてコザ十字路近くの照屋には黒人街と呼ばれた黒人兵の溜り場がだった。六曜舎のスパイシーフライドライスはその頃からのメニュー。メインランドから離れた黒人兵のソウルフード。

同じコザでも十字路に近い照屋が黒人街、パークアヴェニューやゲート通りが白人街にはっきりと分かれていた。同じ軍でも黒人兵と白人兵の対立や衝突はあり、それぞれの溜り場に立ち入ることはタブーだったという。

 

コザ十字路

1970年のコザ暴動はこのコザ十字路を起点としている。コザ暴動は米軍への怒りが生んだライオットだが、1971年の第2次コザ暴動は公民権運動も波及した「白人・黒人間の人種差別問題も絡んだ複雑な事件」だったと言われている。第2次コザ暴動では地元と黒人の対立もあった。今のコザ十字路にはかつての面影はない。大通りから小道に入ると古い建物にむかしの痕跡がわずかに確認できる。

最近、照屋黒人街の歴史は地元でも研究の対象になっているようである。差別される側としてウチナーンチュと黒人の間に何らかのシンパシーがあったのではないかと指摘されている。

コザ十字路 友好の場に 「黒人街」歴史研究した池原さん - 琉球新報

スパイシーフライドライスはコザンチュにはソウルフードなんだろうか。ぼくにとってはソウルフードかもしれない *1 。だらしなく記憶を展開させていると六曜舎についた。 あ。 閉まってるやん。 六曜舎の扉に向けてガチョーンとやってみたが扉は開くことはなかった。日曜が定休日だったのだ。しかたない。パークアベニューに行き、タコスでも食べよう。

フジパーラーの手前から銀天街商店街に入り中をぶらつく。今日は休みが多いが何軒かあいている。そうざい屋さんでアチコーコーのサータアンタンギーを発見。横にはなにげにカタハランブーが。サーターアンダギーとカタハランブーは女性原理と男性原理を象徴する対のもので、その形状がそれぞれに似ていると言われている。

 

銀天街の壁画

 銀天街を出ると、あたり一面の壁画が見える。雰囲気のある壁画なのでしばし眺める。琉球絵巻もあったりしてソウルフルな壁画だ。 

パークアベニュー目指して330号線を少し歩くと、左手にコザ琉映が見えた。昔からのアダルティな映画館だ。以前、デイリーポータルZでこの映画館についての記事を読んだ。コザ琉映もあわせて銀天街の再生を企画しているとのことだ。確かに銀天街はかつてよりも元気な感じがした。 

生かせコザ琉映 銀天街再生プラン提示 | 沖縄タイムス+プラス

 

パークアヴェニューのオキナワンタコス 

330号線の風景

雨が降ってきた。330号線沿いをしばらく歩くと坂道だ。この緩い坂を登りきると中央パークアベニューの入口が見える。FMコザのあるコーナーを曲がり、パークアヴェニューの通りに入る。

 

大衆食堂ミッキー

 50mほど歩くと大衆食堂ミッキーの看板が見える。「ミッキーで食べたか」とコザンチュに聞かれることがあるがまだ食べたことはない。今日は定休日で休みだ。タコスをミッキーで食べるかチャーリーで食べるか迷っていたが必然的にチャーリーに決まった。 

タコスは奥が深い。最近タコスに目覚めた。牧志公設市場裏のタコス屋で店ごとの味の違いに覚醒した。関西の粉もんと同じという訳だ。ハードとソフト。ホットとコールド。多様な食感のバランスに奥深さを感じる。それはタコス道だ。

沖縄で最初のタコス屋といわれるチャーリー多幸寿に着いた。カウンターでビーフタコス2個とアイスサンピン茶を注文。ここは沖縄スタイルのタコスでトルティーヤはパリッではなくもちっとした柔らかめ。ハードとソフトの中間ぐらい。フレッシュ感のあるチリソースがおいしい。沖縄にはタコスの名店がたくさんある。

多少腹が膨らんだのでコーヒーが飲みたくなった。八重島にコーヒーを飲みに行こう。

 

八重島のコザブレンドとタンノイのスピーカー

八重島に残る建物

八重島はかつてニューコザと呼ばれた最初の特飲街であった場所。1950年からつくられた米兵用歓楽街の面影がわずかに確認できる。八重島を少し歩いていると畑の向こうに沖縄そばののぼりが見えた。店までふらふら歩いて、気がづいたらソーキそばを食べていた。予定外だがうまかった。

コーヒーハウス 響

コーヒーハウス 響はかつてのAサインバーを改造して使っている。響には大きなタンノイの大きなスピーカーがあった。アコースティックな響きが場所の雰囲気に調和している。コーヒーはヨシモトコーヒーのコザブレンド。コザブレンドを飲んでいるとウチナーンチュのコーヒーの好みが良く分る。むしろシアトル系エスプレッソショットにより変わってしまったのはぼくの方かもしれないと気づく。エスプレッソショットの追加が与える味覚への影響は引き続き注視したい。ケーキ付き400円で完全にお腹一杯になった。 

 

コリンザの屋上からのコザの風景

来た道を引き返しコリンザの屋上にあがった。閑散とした雰囲気で有名なコリンザの屋上からコザも基地も良く見える。何をしたという訳でもないが暗くなってきた。諸見百軒通りにたどり着けるだろうか。

 

ゲート通りのネオンサイン 

ゲート通りの風景

パークアベニューを戻り、パルミラ通りを抜けて、一番街を通り、ゲート通りに出た。胡屋十字路の交差点にはミュージックタウン音市場が鎮座している。何かイベントをやっているのかミュージックが聞こえる。地元のわかいこのパフォーマンスをしばらく見る。ダンスが完全にプロレベル。体のバネがいったいどうなっているのか。 

 

クラウンホテル沖縄のネオンサイン

ゲート通りを歩く。終点のあたりで左に曲がり、クラウンホテル沖縄の建物を鑑賞。往年のネオンサインは健在。このオールドサインがアジアの街の風景の記憶のトリガーとなる。かつてAサインだった老舗のデイゴホテルサンライズ観光ホテルは今度にしよう。サンライズのステーキが安くておすすめらしい。

 

中の町の泡盛コーヒー割り

ミュージックタウンの横を抜けて中の町なかどおりに入った。建物の角には観光案内所がある。観光案内所はパークアベニューとパルミラ通りにもある。コザの魅力は一見して分かりにくい。能動的に発見する類いの魅力なんだろうと思う。

 

中の町の建物

中の町がいわゆる地元の飲み屋街である。ふじ山。元の建物のコンテキストと店名を地球一回転させたようなセンスにうなる。のどがかわいてきた。少し歩いて目に着いたバーに入ってビールを頼んだ。アルコールは飲んではいけないのだが軽く飲みほすと「どこから」と聞かれた。「コザ十字路から歩いて来た」「えーっ」 沖縄人はあまり歩かないのでたいした距離でなくてもびっくりされる。これは偉業なのだ。ザンシロ水割りを頼んだ。

「コーヒー少しいれときます?」

泡盛のコーヒー割り。邪道と言われることもあるが、おじいやおばあの時代からあるのも事実。泡盛の臭みを消しすぎないように薄く入れるのがポイント。これ以上飲んではいけないぼくにぴったりだ。昼と夜の境にあるようだ。うまい。

「あれれ、もう帰るんですか。店があくのはこれからですよ」

コザの魅力はライブハウスやミュージックバーの多さ。オキナワンロックをはじめとした多様な音楽がコザ本来の楽しみ。本当はこの時間ぐらいからコザに入るのがいいのだが、アルコールを飲めない体には居続けるのは酷というもの。かわりにデイライトのコザを歩いたという訳だ。

  

諸見百軒通り

店を出て諸見百軒通りに向かう。どっぷりと日は暮れている。往年のスナックに加え、新しい店もぽつぽつと。もう少し明るい時間に古い通りの様子を見たかった。百軒通り近くのバス停から那覇行きのバスに乗った。

なぜコザの街を歩いたかと問われれば、何と答えるだろうか。いつものように健康のためとはぐらかしてもコザンチュは許してくれるだろう。

東京や大阪ではミッドセンチュリーからの連続性を街並みからリアルに感じることはできなくなった。那覇では失われつつある。時間の問題だろう。コザでは残されたカケラから、1950年代からの連続性を歩きながらリアルに感じている。

 

コザウェブ|沖縄市観光ポータル|KozaWeb 

*1:横浜での最初の友だちがY君だった。Y君のおばあちゃんは黒人だった。家に遊びに行くといつもソウルフルなフライドライスを出してくれた。だからかたちだけ真似たようなものは食べたくないのだ。Y君とぼくは、アメリカンスクールのやつらが自分たちのナワバリを拡大するのと毎日闘っていた。どこかで聞いたような話だ。アメリカンボーイとの体格差は圧倒的で抵抗するのがやっとだった。これもどこかで聞いたような話だ。そのとき食べたフライドライスは忘れていない。

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