日本でミニマリストが話題になる少し前に、アメリカでミニマリストについての一本の記事がありました。拡大するミニマリストムーブメントへの批判記事です。少し内容を見てみましょう。
ミニマリストの言うことなんて……
2014年6月に、MARTHA C. WHITE氏がアメリカ3大ネットワークのNBCニュースに投稿しました。*1
内容を少し引用してみましょう。(意訳)
中流ミニマリストの言うことなんて貧困層には調子はずれもいいとこだわ
ガラクタに囲まれて暮らすアッパーミドルなアメリカンには、シンプルライフのオススメは気持ち良く聞こえることでしょう。でも、貧困層には、断捨離のアドバイスなんて寝空言です。
ジョシュアとライアンのザ・ミニマリスト。自称ミニマリストのグル二人が、著作を通して、稼がない・持たない思想を広めています。二人は今、100都市をめぐるブックツアーをやっていて、ブログには200万人の読者がいます。彼らは持たないことでより意義深い暮らしができると言っているし、置かれた経済状況に関わりなく誰でも可能だと言っています。
(中略)
そんなアドバイスは貧困層にはまったくの的ハズレだぜ! と『米国の貧困:生き続ける「もう一つのアメリカ」』の著者でDEMOS グループの提唱者サーシャ・アブラムスキ氏は言います。
「ミニマリズムを実践する豊かな人っていうのは、ライフスタイルを選んでるんですよ。貧困層には置かれた状況以外の選択肢はないよ。」
「とどのつまり、誰にでもミニマリズムが可能だっていっちゃうと、貧困層も富裕層と同じくらい安全なとこに住まなきゃいけないし、近くにいい惣菜屋や医者や公園や学校がなきゃいけないってことになるよ。そんなケースはあるわけないけどね。」
「ミニマリズムというのは、みんなが同じ環境に住んだという想定の話だよね。だけど、こんな格差のある世の中じゃない。ミニマリズムの議論を続けちゃうと、結局、貧困層は、なぜいつまでも貧困のままいるんだいってことになっちゃうんじゃないかな。」
出典:Middle Class Minimalist Message Sounds Off-Key for Poor - NBC News
原文の中には、100ドルのジーンズを毎日履いて楽しむなんて、中流だから可能なんだとばっさり切り捨てられている内容もあります。「中流なら、ミルバーンが言ってるような100ドルのジーンズを毎日履くことは可能さ。洗濯機や乾燥機があるんだから。だけど、コインランドリーに行くのは時間も金もかかるもんなんだぜ。」
このNBCのニュースからは、アメリカの貧困問題の大きさが伝わってきます。日本の状況にそのままあてはめることはできませんが、ミニマリストが自分の部屋だけでなく、自分を取り巻く生活環境(インフラ)が前提になっていることが見え隠れしています。ミニマリストは自分の部屋のことだけを語る傾向がありますので、見落としがちな視点です。たしかに近くにカフェがあればエスプレッソマシーンはなくすことができます。図書館があれば本を多く持つ必要もありません。アメリカには激烈な生活環境もあるということです。
サーシャ・アブラムスキ氏は、貧困問題に取組んでいる立場からミニマリストを批判しています。ミニマリストが政府の貧困対策のひとつとして利用されることを懸念しているようにも見えます。政府からすれば、本人が貧しいままでいいっていってんだからいいんじゃないのということです。自己責任論という訳です。貧困層にはインフラも最小限でいいでしょということになったらどうするんだい?と言っているようにも聞こえました。実際そうなってるのかも知れません。税金あんまり払ってないでしょというリバタリアニズムの議論です。
いずれ日本もアメリカと同じ道を歩むだろうとは言われているようです。
サーシャ・アブラムスキ氏の著作である「The American Way of Poverty: How the Other Half Still Lives」(『米国の貧困:生き続ける「もう一つのアメリカ」』)のアマゾンページです。アメリカの貧困層の実態や貧困問題を論じた本で47件のコメントを集めています。*2

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ミニマリズムが悪用される可能性を考えて、少しもやもやっとしましたので、もうひとつ記事を見てみましょう。
ミニマリストが貧困層をディスってるよ……
上記のNBCニュースの記事を引用しながらミニマリストを批判した内容です。今年4月のエントリーです。少し内容を見てみましょう。(意訳)
ミニマリストの消費主義は貧困層には侮辱だよ
ミニマリストの消費に対する考えたって結局は特権階級のものだろ?
アブラムスキ氏が言うように、貧困層はめちゃめちゃ働かなくちゃならないんだよ。だから時間もないし、その日暮らしの生活を見直すエネルギーなんて残っちゃいないさ。
もっと言えば、支払いに追われる生活では、節約しようなんて気持ちは持ちようがなくて、とりあえず必要だから買っとけってことになるのさ。
この議論についての後追い記事では、ニューヨークタイムズのチャーリー・ロイド氏が簡潔にまとめてるよね。シンプルライフの美徳について話す貧困層なんて見たことないから、貧困層にモノがあるってことは別に問題じゃないのさ。むしろモノがあるのはリスクを減らすんですよ。ブロガーのマインドフル・リオットが続けて言ってるね。
お金を有効に使いたい人は誰でも、持っていたアイテムを買い直すなんてとんでもないことさ。だけどミニマリズムのコンセプトが誰にでも役立つものじゃないと言ってるんじゃないよ。消費をセーブすることはやっぱりいいアイデアだからね。
ミニマルなライフスタイルは裕福な人であっても長続きしないと言う人もいるね。熱心なミニマリストも1年かそこらで卒業しちゃうし、100個ぐらいでモノを減らすのもやめてるね。90%のモノをなくしてみようなんてエクストリームなチャレンジは別の話だとは思うけどね。
ザ・ミニマリストの二人は、金持ちも貧乏人もモノへの欲望で苦しんでるって言うんだけど、どうなんだろうね。
シンプルでストレスのない生活を送ることは支払いに追われることのない生活では間違いなく簡単なことだろうさ。モノへの欲望を減らしたり、人とモノの関係を考えるという深淵な目標も分かるんだけど、日々の支払いに苦しむ貧乏人にとっちゃあ、ミニマリズムどころではないのさ。
出典:Is Minimalist Consumerism an Insult to the Poor?
貧困層からの直接の批判ではありませんが、アメリカの貧困層から見れば、ミニマリストがその思想がどうであれ、ディスられているように感じるよという記事です。
日本のミニマリズムに潜む階層化のリスク
アメリカではミニマリストと貧困層の馴染みがあまり良くないようです。
日本はもともと質素倹約な生活をよしとしてきた歴史がありますので、アメリカの貧困層の議論がそのまま持ちこめるわけではありません。
ニュース記事から判断しますと、アメリカでは、ミニマリストと貧困層は別グループとして認識されているようです。ミニマリストは基本的にはミドル~アッパーミドルのムーブメントなんですね。それが富裕層にも貧困層にも可能だよと言ったところに批判が起きたという構図です。
日本でもミニマリストと貧困層はアメリカのようにはっきりと分かれているのでしょうか? 日本では貧困層とはあまり言いませんので低所得者層ですね。ミニマリストと低所得者層はアメリカのようにはっきりと分かれているのでしょうか? 今後の研究が期待されるところではありますが、むしろ親和性があるのではないかと思われる節もあります。仮に親和性が高かった場合、アメリカとはかなり事情が異なりますので、独自に問題点を検証する必要があるのではないかと思いました。
たとえば日本でもひそかに階層化が進んでいると指摘されています。ミドルクラスの家庭であっても簡単に低所得者層になってしまう可能性があり、一度、低所得者層になってしまうと階層化が固定化してしまうということです。ミニマリズムに潜む階層化のリスクはないのか。そのメカニズムを少し見てみましょう。
ひそかに進む日本の階層化
少し前のニューズウイークの記事が分かりやすかったです。社会階層によって知識や嗜好が違うということは主に欧米での話ですが、実は日本でもそうした傾向が鮮明になってきているということを指摘した記事です。
ひそかに進む日本社会の「階層化」 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
この記事に掲載された図が衝撃的に分かりやすいものでした。
出典:http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2015/08/post-3838_1.php
青ゾーンの家庭と赤ゾーンの家庭で育った子どもがどうなるかが容易に想像される図です。フランスの社会学者ブルデューによれば文化資本を通じて格差や階級は再生産されるといいます。貧困層に育てばその環境ゆえに貧困層になるということです。
文化資本とは、
社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
今日良く読まれていました現代ビジネスの「家に良書が300冊もあれば、賢い子が育ちますよ」という記事も文化資本についての内容です。上に引用した図ともリンクする内容です。
家に良書が300冊もあれば、子どもはそのうちどれかと触れ合って、勝手に賢い子に育ちますよ 紀伊國屋書店 高井昌史社長に聞く | 社長の風景 | 現代ビジネス [講談社]
ひとつの問題点として、ミニマリストは文化資本も一緒に捨てているんじゃないだろか? ということがあります。たしかに本はすべて電子書籍にすれば紙の本はなくすことができます。しかしすべての本が電子化されているわけではありませんし、一見ガラクタに見える外国みやげの置物やファイヤーキングのマグカップも子どもにとっては大切な文化資本になりうる可能性があります。
ミニマリストは文化資本をどう考えているんだろう?
シングルもしくは子どものいない家庭は問題ないかもしれません。しかし、「文化活動を媒介にした親から子への地位の再生産」を考えた場合、ミニマリストの家庭で育つ子どもはどうなるんだろうという疑問が湧きます。家にモノがないので家で受ける影響はニュートラルかもしれませんが、学校や図書館や博物館、美術館のインフラに恵まれている必要はありそうです。蔦屋書店でもいいのですが10年前のエクセルに異様に詳しい子どもが育つ可能性があります。こわいですよね。
若者が置かれている状況も少し振り返ってみましょう。
希望や努力することさえ奪われている社会で
まずは最近の努力も才能であるという話題です。
若者に広がる新しい宿命観
週刊金曜日の1023号では、精神科医の斉藤環氏が若者にひろがる努力しても報われない世界観を「努力することで自分自身が変化するという、本来なら万人に許されるはずの可能性が、二重三重に否定・否認をこうむっている」と指摘しています。
その要因として、承認への依存とコミュ力重視を上げています。こうした傾向は、1990年代以降の学習態度を優先的に評価する教育制度の導入とSNSサービスの定着によって生まれてきたとしています。
絶望的に低い自己肯定感
斉藤氏の指摘で驚いたのは、アメリカの貧困層に対して言われているような内容が日本の若者について言われていることです。日本青少年研究所が2011年に「中高生の自己肯定感」を調べた調査では、日本が突出して低いという結果になっています。
出典:「高校生の心と体の健康に関する調査(2011年3月)」財団法人一ツ橋文芸教育振興協会、財団法人日本青少年研究所
アメリカと中国は自己肯定感がともに80%を超えています。韓国は75.1%。日本は36.1%。突出して低いです。この結果は、日本の若者が承認に依存していることの裏付けになっています。承認してもらえないと自分が価値のある人間と思えないという兆候が早くから出ています。
次に若者の生活意識を見てみましょう。
その日その日を自由に楽しく!
平成18年の文科省の中央教育審議会の資料に、日本の中高生の生活意識を諸外国、親世代と比較した図があります。
「中高生は、諸外国と比較して将来志向の生活意識を持つ者が少なく、親世代と比較して将来よりも今の生活を重視する者が多い。」と分析しています。
出典:『高校生の友人関係と生活意識調査報告書』(平成18年)財団法人一ツ橋文芸教育振興会、財団法人日本青少年研究所
出典:『中学生・高校生の生活と意識調査』(平成15年)NHK放送文化研究所
以前この図を見た時に日本の成長戦略はもうあかんやろと思いました。なぜなら「その日その日を自由に楽しく!」なんて能力に恵まれた人間に可能なことであるからです。普通の能力の持ち主であれば、必死のぱっちで努力してようやく人並みの生活を送ることができるのが真実だからです。こういう身も蓋もない事実はウケが悪いですので誰もいいませんが。しかし年を取ればそういう事実に気づいいていくんですね。上の図が示しています。
文科省も少し前まではみんなやる気だそうぜ的な教育方針を言っていましたが、最近はあきらめて、多様性への対応(能力主義)に舵をきっているようにも思えます。
"「生まれながらの差別」に鈍感な日本社会 "という記事も一昨日前にありました。気づかなければ確実に固定します。この記事では、教育予算の配分に注目することがいかに重要なことであるか説明されていました。
「生まれながらの差別」に鈍感な日本社会、「自分の子どもさえ良ければ」を乗り越えられるか|大内裕和中京大学教授 | editor
ミニマリストは文化資本を捨て去ることができるのか?
ザ・ミニマリストは「ミニマリズムはシングルや金満家や白人アニキのものかい?」というエントリーで、ミニマリズムは誰でも恩恵を得られるものであると言っています。確かにシングルや金満家や白人アニキがミニマリストになることは何の問題もないでしょう。*3
ただ、上述しましたような日本の子どもが置かれている状況を考えますと、ファミリー系ミニマリストにとっては、単純にモノを減らせばいいという状況でもないようです。文化資本の選別が必要になります。ジョシュア・ベッカー氏が言うように子どもがいても確かにすっきりと暮らせると思います。ただ、格差や貧困の固定化を考えた時、ただでさえ子どもの現状維持意識が強くなりがちな環境で、文化資本を捨て去るのはどうなんだろうということです。ミニマリストであっても、文化資本の選別と蓄積には意識的であった方がいいと個人的には考えます。もちろん、ミニマリズムは格差や貧困という従来の考え方をも乗り越えるものだから関係ないという主張がもあると思いますし、電子化されたオルタナティブな文化資本というのも考えられるかもしれません。
本日、日経平均が暴落したというニュースに隠れて、孫に教育資金の贈与が1兆円突破したという記事がこっそりありました。富裕層の子弟がパワーマネーで教育武装されている裏づけですね。依然として増加のペースは衰えていないようです。
孫に教育資金、1兆円突破 大手5行の契約14万件に :日本経済新聞
祖父母が富裕層でなければ、文化資本という視点をもう少し意識してみる必要はありそうです。
ミニマリスト2.0 / ミニマリストに脱文化的再生産は可能か
ミニマリズムのひとつの可能性として、「家に良書が300冊」のように、選別で家に置く文化資本をコントロールしていけば、低所得者家庭であっても、文化資本の高い環境をつくることが可能になります。階層化の輪廻から脱出できるという展望は開けてくるかもしれません。そこで大事になるのは、選択の質です。手垢にまみれたバイラルな言葉ではありますが、キュレーション能力ということです。
これからのライフスタイルではキュレーション力の高いモノの選別が重要となるでしょう。ミニマリスト2.0。近い将来、経験を積んだミニマリストたちが、町のキュレーションにいさん、島のキュレーションねえさんになって、日本の文化的再生産の固定化に、コミュニティレベルから対抗することがあるかもしれません。それが「支配階級の持つ文化」に比較できるレベルになれば、かなり楽天的ではありますが、脱文化的再生産は可能と言うことができるのではないかと思います。
文化的再生産とは、文化資本の再生産のことをいう。社会的再生産とは区別される。
社会的再生産とは、階級の再生産を意味するが、経済資本の再生産はみえやすいが、文化資本の再生産は、学校システム(教育システム)がその再生産を共謀し、隠ぺいしているので、みえにくい再生産形式でもある。
ピエール・ブルデューとジャン=クロード・パスロンの著書、『再生産』(藤原書店、1991年)において、教育が象徴的権力であることが明らかにされるとともに、文化資本を教育システムが評価することによって、支配階級のもつ文化が、学校システムにおいて収益をあげ、支配階級の子どもが高い学歴を得て、高い階級へと再び再生産されることを明らかにしている。文化的再生産 - Wikipedia
関連記事
*1: 記事を書いたMARTHA C. WHITEのプロフィール:Martha C. White - TIME
*2: サーシャ・アブラムスキ氏に関する参考記事 Democracy Now!
*3: Is Minimalism Just for Single, Rich, White Guys? | The Minimalists