カレーとラーメンはどこで出会ったのだろう?
日本人はカレーとラーメンが大好きである。ラーメンとカレーと言い換えてもいい。そんなカレーとラーメンの交配種にカレーラーメンがある。カレーとラーメンはインドと中国から別々に海を渡り、日本で出会った。つまり、カレーラーメンは日本で生まれた。あるいは、海を渡る前に、別の場所で、カレーとラーメンは出会い、カレーラーメンとなって海を渡った。そのどちらかだった。
カップヌードル カレーが代表選手だと思う。海の家で、公営プールの売店で、カップヌードルではなくスパイシーなカップヌードル カレーを食べた。日本の夏には麦わら帽子とカップヌードル カレーとみんみんゼミが良く似合っていた。できれば、カレーラーメンは日本発祥の風物であって欲しかった。いつまでも。
上海のラーメン屋で見たもの、それでもウィキペディアは言う
1998年に上海に行った夜、上海老街の近くの闇市のような露天商を歩いた。市場の端にやたら繁盛しているラーメン屋があったので入ってみた。「一人前」とだけ伝えると、出て来たのは見事なカレーラーメンだった。店の壁に「蘭州拉麺」と書いてある。蘭州というのはどこだ。西安の西あたりか。*1
スパイスは北上したのだ。地図で確認すると、インドから北上すると新疆ウイグル自治区だ。カレースパイスはインドを北上し、新疆ウイグルのあたりでラーメンの起源とされるラグマンに出会った。カレーラグマンは汁を増やしながら東へ進み、蘭州でカレーラーメンとなった。上海っ子がもう300年も食べてるような顔をしてカレーラーメンを喰らっている。カレーとラーメンは遥か遠くの異国で出会っていた。古くからの知りあいである両親が今のいままで見合い結婚だと思い込んでいたら、ハーレクインなあられもないロマンス結婚だったのと似ている。
こうした事実にあらがうように、ウィキペディアには「カレーラーメンの起源については諸説あるが、日本各地で自然発生的に誕生したと考えられている」と書かれている。*2 三つの説が書かれている。新潟発祥説。北海道発祥説。千葉発祥説。どの説も説得力がある。カレー好きなラーメン店主が思わずラーメンにカレー粉をいれてしまったという方がしっくりする。カレーそばがあるように、日本がオリジナルということでいいのではないか。ぼくは上海で見た事実に今まで目をつぶってきた。こう考えたらどうだろう。たとえば、ふたごの場合、どちらかの子どもがオリジナルということはない。つまり、オリジナルは二つ存在する。こうして日本はデヴィッド・リンチ的にガラパゴス化していくのだろう。しかし生態系は多様性を獲得した。
カレーラーメンは思い出ではない、それは未来形だ
あの上海のラーメン屋はもうないだろう。上海の発展状況からして明らかに。思い出のレストランを語ること、それは新たな旅だちを決意すること。カレーラーメン、それは過去の思い出ではない。ぼくはカレーラーメンの起源を日本に求める。カレーラーメンの新たな記憶をつくるのだ。それは未来形の思い出レストランで刻まれるだろう。カレーとラーメンはどこで出会ったのか。ダンチュウの記事のようにぼくも言い張るだろう。日本でしょ。 *3
発祥説のラーメン屋をピックアップした。未来形のレストランは思いこみでうまさが決まる。もう、うまいということに決まっている。新潟。北海道。千葉。三つの発祥説の三つの店がトライアングルをつくり、カレーラーメンが日本発祥であるという事実をより強固なものにするだろう。ポータルをハックしリンクをつくりコントロールフィールドを形成する。イングレスの巡礼者のように歴史的事実を強化する旅になるのだろう。ガラパゴスの国の愛好家たちは、新潟、北海道、千葉を結ぶ巨大なカレーラーメンフィールドをつくる。破壊されることのない固有の起源として。
新潟発祥説代表
北海道発祥説代表
千葉発祥説代表
実之和食堂[閉店もしくは移転]
思わぬハプニングだ。千葉発祥説の根拠となる実之和食堂の現状がネットでは分からない。閉店したとも移転したともある。系脈は「かれー麺 実之和」としてチェーン化しているようだが。これでは強固なトライアングルは形成できない。まずは千葉発祥のポータルを実地で確認することから始めよう。
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*1:上海の店はカレー味のラーメン一種類だったが、一般的な蘭州ラーメンは牛肉拉麺のようである。この店は中央アジア系の人たちがやっていたので、ラーメンにスパイスを習慣通り入れてみたというだけで、カレーラーメンをつくっているという認識はなかったかもしれない。現在、東アジアにある咖喱面ともまた違うかもしれない。