トピック「岡崎京子」について
「今月は岡崎京子の…を買いたいから…」紀伊国屋のマンガコーナーですれ違いざまに中学生ぐらいの女子二人連れが言うのを聞いた。
岡崎京子の作品が自分にとってどのような意味を持つのかにしか興味がなかった。女子の会話を聞いて、あとで読んだ世代がどのように読んでいるのか少し知りたくなった。同時に、岡崎京子展は今月までだったこと思いだし、東京の世田谷文学館に行った。
展覧会の感想。すごい仕事量が見てとれる展示構成に、なんだか胸がいっぱいになってしまって、じっくりと見ることはできなかった。感無量で文字も冷静に読めない。だから、実際に中学生ぐらいの女の子が何人か熱心に岡崎京子の原画を鑑賞しているのを見ても、彼女たちがどう見ているのかを考える余裕はなかった。
出口で岡崎京子の作品や関連書物が売っている。60年代女の子映画の決定版と言われるチェコ映画『ひなぎく』も置いてある。自分で考えるかわりに、この映画に寄せた岡崎京子のコメントをメモした。
2人の女のこ。2人はこの世の無用の長物で余計のものである。
そのことを2人は良く分っている。
役に立たない無力な少女達。だからこそ彼女達は笑う。
おしゃれする、お化粧する、男達をだます、走る、ダンスする。
遊ぶことだけが彼女達にできること。
愉快なばか騒ぎと絶対に本当のことを言わないこと。
それが彼女達の戦闘手段。やつらを「ぎゃふん」と言わせるための。
死ネ死ネ死ネ死ネ!分ってるよ。私達だって「生きて」いるのよ。1995年、岡崎京子『ひなぎく』へのコメント
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今回、岡崎京子展に行って、これまであまり考えなかったようなことも感じた。作品が現在に持つ意味といったことかもしれない。
「リバース・エッジ」のコーナーは展示室のなかで、ひとつの箱として独立してつくられている。10人も入ればいっぱいになってしまう箱の大きさ。箱の中は黒一色で塗られ、使われる色も黒白二色。照明も落としてある。入った正面にガラスのケースがあり、ガラスの表面には、ウイリアム・ギブソンの詩がプリントされ、その奥にリバース・エッジの原画が吊るされている。両サイドは、壁いっぱいに引き延ばされた川原の背景と幾つかの原画。箱のなかにひとりでいる時よりも、何人か入っている時に荒廃感を感じた。それが自分の心なのか、他人の心なのか、現実の社会なのかよく分らない。作品に描かれた荒廃感が境界なくひろがっているのを感じた。
リバース・エッジの黒い小さな箱を出ると、コントラストをなすように岡崎京子の描く女子の世界が明るく大胆にひろがっている。リバース・エッジで描かれた闇はますます大きくなり、それをおしとどめようとする力と拮抗している。闇に拮抗できる力があるとすればそれは何だろうか。その力を岡崎京子展で見ることができる。戦場のガールズライフ展は、ジェンダーを越えた生存のためのDNAとなるような気がする。だから、一回ということではなく、再現性を期待したい展覧会だと思う。
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