アーキペラゴを探して

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京都人の心の隅をつくデザイン / ポール・スミス

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三条通りを歩くと、ポール・スミスがある。町屋を改造した店舗であるが、ひねりの利いたデザインとなっている。ポール・スミスのディレクションによるリノベということだ。外見からでも、かなりつくりこんだインテリアの本気度が分かる。 

奇抜かと言うと、そうではなく、京都人のデザイン心の重箱の隅みたいなところを限りなくピンポイントでつつくのである。古都色のベンガラをあえて外し、ヨーロッパの赤のニュアンスで勝負するのがポール・スミスだ。それともあの赤は、山鉾のペルシャ絨毯を縁取る赤にインスピレーションを受けたのかも知れない。 

 少し前まで、今出川に、ポール・スミスがあった。英国アンティーク調の外観だった。DCブームが吹き荒れる中、まちなかから離れた場所で、ひとり独自の路線を貫いていた。京都は着倒れというように、服好きが多い。当時はワイズとかギャルソンの人気が高かったが、京都の洒落者はポール・スミスだった。それも僕の記憶違いで、当時、京都で人気のあったのは、パーソンズとピンクハウスだったよという声もあるかも知れない。 

ちなみに、神戸は履き倒れ。大阪は食い倒れ。これは関西圏での数少ない真理だと思う。京都人と話していると、シャケの皮が好きだったり、すぐきが好きだったりと、好みがもうひとつ掴みきれない。ふたばの豆餅の何がおいしいのか、今だに分からない。京都は盆地のため、地下水がたっぷりあり、京野菜や豆腐が本当においしい。それにはまったく異論はない。リスペクトしている。 

 

ポール・スミスの服は、何点か持っていた。かなり昔に、京都の洒落者を真似て、ダークなジャケットにフラワープリントのシャツをあわせた。大阪に帰ると、そのアロハええやん、どこでこうたん?、エビス? ドゥニーム? とコテコテな質問を受ける。京都のようにはならない。京都人に言わせると、京都はロンドンに似ているから、ポール・スミスが似合うんや、ということらしい。 

今は、ポール・スミスの服は買っていない。リーマンショック後、そのような余裕はなくなった。今は、高い服を買う場合、ユニクロで買う。ポール・スミスからユニクロかよという失笑が聞こえて来そうだ。

 リーマンショック直後、僕にとって唯一の選択肢はユニクロだった。ようやく貯まった小銭を握りしめ、真冬のユニクロに、ボロボロのTシャツとゴム草履でアウターを買いに行ったものだ。ユニクロに行くと、+J(プラスジェイ)というシリーズがあった。値段は少し高いが、デザイン的には満足ゆくものだった。それもそのはず、デザイナーはジル・サンダー。本人は肯定していないようだが、ミニマリズムの代表的デザイナー。こうして僕もユニクロを着るようになった。 

いつのまにか、+Jのシリーズがなくなり、ユニクロから足も遠退いた。違う店で買っているのかというと、そうではなく、単に持っている服を着まわししている。TPOによっては襟が多少擦りへったシャツもこだわりなく着ている。地球に優しいエコの人なんだろうなと思われるようにしている。

 

 擦りへったシャツの袖口を見ながら、ネットサーフィンしていると、+Jが復活するという記事があった。要望が多かったらしい。早速見に行った。何か違った。ジル・サンダーの微妙なテイストが失われているような気がする。しかしよく見ると、やはり+Jには違いない服もあるなーと、とめどなく思索にふけっていると、ユニクロのセカンドラインGUにたくさんの人がすいこまれていくのが見える。そっち方が面白そうなのでついていく。

 今の僕の洋服の興味はこの程度だ。しかし、京都人のヤツは違うだろう。12月に京都に帰ってくるという話を聞いた。まだ洒落者だろうか。東京での20年が、彼を歪んだじゃがいものように、原形をとどめないほど、変形させたという噂もある。 

昨日発表されたGDPの数値から判断すると、もしかしたら、GUできめてくるかも知れない。いや、すかした京都人は、ポール・スミスのダークスーツにストライプのシャツをあわせてくるだろう。着倒れの気性らしく借金してでも。生粋の京都人は本当に服が大好きなんである。

 

三条店 | Paul Smith

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