ヴィンロンかサデックに向かう船の中で読んだと思う。ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』という本の内容を思い返していた。
集団のなかに働く力学は、小さな友人関係から国家規模までどれも似ている。愛とか平和もあるだろうが、繰り返し発現する集合・熱中・戦争・離散のサイクルに興味を覚える。旅はいつでもディアスポラ/離散の果てに生まれる。ある情報をキーにしてそのトライバル/部族は集まったが、ディアスポラの果てに、この情報は旅人によって運ばれる。この情報は、人の言葉に直すと生とか神とか力とかひじょうに簡単な言葉に置きかえられてしまうかもしれない。
ベトナムで『蝿の王』を読んで、その時はいろいろと思うところもあったが、今ではきれいさっぱり忘れてしまった。それでも思い出せることはある。
無人島に少年達が不時着する。何の情報も書かれていない白い下地に、次々といろんな点や線がひかれて行く。無人島での少年達の生活のシュミレーションというか、サインとかシンボルとか欲望とか人間の持つ要素が交錯する力学を描いているが、それはネガティブな方向に傾いていく。無人島からの脱出にプライオリティーを置く理知的なグループに対し、もう一つのグループは、南の島という楽園で狩りやパーティにとりつかれ、人間の欲望を解放させていく。早い段階から、それぞれのグループは対立する。
誰でも論理的なグループの視点で、この本を読んで行くことになるが、絶え間なく享楽を味わうグループの視点に断続的に惹かれることになる。ジャックという少年が、まるで本能のように、制御できないものに突き動かされるように、狩りをしたいと主張する印象的なシーンがある。個人的な性向からも、狩猟はマスターワークスであるという立場からも、ジャックの快楽を追求する性格はある程度理解できる。しかし、それではいけないのであろう。
後先考えて時間を制御する立場と、その時間だけの永遠を感じる立場が混ざることなく対立している。