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人生をジグザグに歩く

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人間には二種類ある。海派と山派だ。海が好きな人と山が好きな人。僕はどちらかというと海派である。

沖縄に行っても、今は酒が飲めないので、山に行ってみる。山は酒場や居酒屋がないイメージなので。ビーチや離島に向かう船で、泡盛オリオンビールが飲めなければ、楽しみは半減する。だから、酒のなさそうな上高地に来てみた。なかば仕方なくという感じだったけれど、いざ来てみると、穂高の風景は素晴らしいものだった。

といっても、山派になった訳ではない。経験則で、それが自分の見たい景色を見ることができる方法と知っているからだ。実は、人生でも同じことが言えるのではないかと考えている。


サイコパスは人生をジグザグに歩くという。
自分の興味のまま、色々な領域を渡り歩く。その点だけは、サイコパスの行動習性が参考になる。結果だけみると、自分の人生もそうなっている。ウェブ空間でキーボードを打つのも15年ぶりだ。当時はブログもSNSもなかった。久しぶりにアクセスすると、ウェブ空間に新しい景色が拡がっていた。

サイコパスという訳ではないが、良く知られたところでは、フランスの天才詩人 アルチュール・ランボーランボーは、天才の絶頂期に突然筆を折り、兵士、翻訳家、様々な職業と転々とし、砂漠の商人となった。砂漠の商人になってからは、事務的な言葉だけを使用して、詩的言語は、一切使わなかったと言われている。

ランボーは、詩人から砂漠の商人へとターンを繰り返した。サイコパスのように、人生をジグザグと歩く。今の時代は、価値観も多様で社会状況という現実もあるのだから、決まったレールをストレートに走らずとも、ワンターン、ツーターン、あるいは、ジグザグに歩くのも、ノープロブレムだろう。自分が元いたドメインに戻るのもアリ。違う領域を何度も行きつ戻りするのもアリだろう。ワンターンして、元いたドメインに戻らなければ、砂漠の詩人になればいい。


ビジネス書や識者論者のもっともらしい言説は、それが出た段階で、すでに何らかのレールであることが多い。良くて複数のレールという選択肢が用意されているだけだ。レールを走ることを前提して、戦うための武器が配られる場合もある。

レールに乗るのも人生。レールに乗らないのも、あるいは、レールから降りてしまっても、そもそも、レールが無かったとしても、人生をジグザグに歩くことはできる。

人にぶつかることもあるけれど、僕はこの先も人生をジグザグに歩いて行くだろう。自分が見たい景色を見るために。
 
 
 
 
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