ヴォーカル。神がつくった至高の楽器。その座がしばらく前から脅かされているらような気がする。音声合成システム、ボーカロイドの影響は、だんだんと拡がり、看過できないレベルになっている。ヴォーカルと聞くと、この二曲が思い浮かぶ。
マーラーの交響曲『大地の歌』。地上の悲しみを唄う酒宴の歌。テノールのヴォーカルがこれ以上はない絶望と地獄を切り裂いて始まる。生は闇だが、死もまた闇、と絶唱する。
マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』。反戦へのメッセージを、人類の尊厳を賭けて、これ以上はない繊細さと滑らかさで歌う。マーヴィンの悲劇的な終わりを知っても、ヴォーカルの到達点として、羽のように、滑らかに聞こえる。
改めてこの二曲を聞いてみると、当分、ヴォーカリストの王座が安泰だと分かる。
1:ボーカロイド前史
ボーカロイドを最初に聞いたのは音楽の授業だった。当時のボーカロイドは、ヴォーカルと比較できるようなレベルではなかった。
教科書に載っていたドビュッシーの『月の光』。参考ということで、冨田勲のシンセサイザー版『月の光』がかけられた。同時に、同じアルバムに収録された『ゴリウォークのケークウォーク』を聞いた。
この曲には、モーグというシンセサイザーにより作られた「パピプペ親父」という、原初のボーカロイドが使用されている。
パピプペ親父による『ゴリウォークのケークウォーク』をもう一度聞いてみよう。
冨田勲のアルバムは、ドビュッシーの音楽の本質を表現し、その後、ドビュッシー音楽に興味を持った。ただ、ボーカロイドは、面白いとは思うもの、それ以上の興味を持つことはなかった。
2012年11月、冨田勲が宮澤賢治の創作にインスピレーションを得た『イーハトーヴ交響曲』 を初演し、ソリストとして、初音ミクを起用する。
音楽のグルとも言える作曲家が、初音ミクの虜となった。パピプペ親父からの経緯を考えると必然だが、このニュースは、少なからず僕を驚かせた。オーセンティックに納まるのではなく、あくまでアバンギャルド貫く強い意思。やはり、シド・ビシャスの歌うマイ・ウェイを忘れてはいけない。 ボーカロイド関連のニュースを無視できなくなった。
2:初音ミクの創世記
2007年発売された初音ミクというソフトウェアの存在も、ニコニコ動画で話題になっていることも、知っていたが、初音ミクのニコニコ動画でのリアルな創世記を実際に体験している訳ではない。
初音ミクは、ニコニコ動画を中心としたネットコミュニティのエネルギーを集め、電子の歌姫として、ヴァーチャルの膜を破るように出現した。
音楽だけでなく、ミクのビジュアルも著作権フリーだった。様々な絵師たちにより思い思いのミクのイメージが生み出され続けている。
最近も『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という本が出版され、これまでの初音ミクの誕生からの歴史を元に、そこで起こった現象が考察された。
また、ネットでも、初音ミクの詳細な分析は多い。「初音ミクという神話のおわり」という記事によれば、初音ミクは、自らを定義している最中に、一曲の楽曲により、コミュニティが見守る中、一度死んだことが指摘されている。
その後も初音ミクは、死んだり、再生しながら、周囲の景色を変え続けた。初音ミクよりも、大きく変わったのは、我々の方だろう。
3:電子の歌姫 世界を席巻する
初音ミクの最近のニュースを見てみよう。
レディ・ガガのオープニングアクト、前座として、初音ミクが起用されたというニュース。
レディー・ガガ、初音ミクとコラボ!ツアーのオープニングアクトに抜てき
ポーカーフェースのPVで見せる肉感的なダンスとは対極にあるバーチャルシンガーの起用。ガガの日本のポップカルチャーへの傾倒からは理解できるもの、イメージの非連続性は否めない。
ニューヨークで昨日まで開催されていた「Hatsune Miku Art Exhibition」のニュース。
初音ミク in NY、マンハッタンで開催中の「Hatsune Miku Art Exhibition」
この展覧会で発表されたアートワークを手掛けた 野村哲也氏のインタビューが今発売中のファミ通に載っていた。記事を読むとミクのクリエイターに起用されて、高揚しているニュアンスが伝わってくる。他にも、バンプ・オブ・チキンがコラボしている。
トップクリエイターが初音ミクに夢中になっている。いいヴォーカリストは他にもたくさんいるではないかという感じがする。誰も時の流れをとめることはできない。
4:クリエイターのつくる新しい風景
不思議なことに、こうして自分の興味のままに調べていると、初音ミクが単なるボーカロイドを超えて、魅力的な存在に思えてきた。
バーチャルな存在であるだけに、自分の考えや想いを反映し、自分の脳を投影する存在となる。グローバルレベルで無数に投影される、その集合体だから抗いようもない。
これまでは、作り手が発する深層の言葉に、受け手が持つ深層の言葉が重ね合わされてきた。だから、その深層同士の出会いも難しい。ボーカロイドは、作り手と受け手がひとつのコミュニティとなり、深層の言葉がミクと言うカタチでダイレクトにあらわれる。初期である程、ニコ動というコミュニティの一体感から生まれてきた傾向が強い。冨田勲が言うように、浄瑠璃や日本のお家芸 人形に憑依するファントム、あるいは、ミューズ。
深入りしすぎたようだ。ヴァーチャルが自意識を集める仕組みなのか。このままでは、ヴォーカルカルチャーが滅んでしまうビジョンも脳裏にちらつく。
近くのタワーレコードに入り、流れているスタンド・バイ・ミーのカバーにほっとする。このカバーはSEALのStand By Meかな。しばらくはヴォーカル文化は安泰だ。CDショップがある限り。そのCDショップも最近減っているので心もとない。
自分のアタマで考えてみよう。これは音楽シーンというより、様々な階層と世代のクリエイターがつくる新しい風景だ。ボーカリストとボーカロイドの比較は意味がない。ヴォーカリストを誰が殺すのか。 ヴォーカル文化が滅びるとすれば、殺すのは、ボーカロイドではなく、我々だろう。『死神の精度』の千葉のように、我々はもっと音楽を大切にしなくてはならない。
5:ボーカロイド エーテルの具現者
初音ミクの登場を見て、最初に思ったのは、2001年に公開れた『リリイ・シュシュのすべて』という映画。リリイもネットコミュニティから生まれた神格化した歌姫である。ファンによれば、リリイ・シュシュは、エーテルの具現者であるという。
エーテル。リリイファンにとって感触の触媒、精神を満たす特別なオーラのようなもの。赤、青、灰色などのエーテルが存在するらしい - wiki
あの映画がずっと引っ掛かっていた。エーテルが意味するものが良く分からない。初音ミクによりエーテルのイメージが何となく分かってきた。やがて、電子の歌姫は、グローバルに拡がるネットのエネルギーを集めて、エーテルを体現するだろう。
なぜ彼女はそこにいるのか。なぜ彼はそこにいて、その行動をしているのか。なぜ僕はボーカロイドのことを考えているのか。無意味に見えても、すべてのことに意味がある。
初音ミクが体現するエーテルには、我々の立ち位置も含めて、世界や社会が現在こうあることへの因果が無数に写りこむ。縁起の映りこんだフラグメントを発見し、存在の意味を直感するだろう。
もし、ミクが深層の言葉を顕現するシステムというのならば、深層の言葉が表現する領域を超えて、確かめられたことのないエーテルのリアルというものを見せて欲しい。
ボーカル文化の危惧を感じ、ボーカロイドを調べるつもりが、いつのまにか、初音ミクのレビューらしきものを書いている。ミイラ取りがミイラになったという訳だ。
微細な意識のフラグメントが集合しワイヤーフレームとなり、テクスチャがマッピングされて、バーチャルな空間に初音ミクがあらわれる、そんなイントロではじまる-
2012年 初音ミク tell your world
GoogleのCMバージョンとフルバージョン。
Google Chrome : Hatsune Miku (初音ミク) - YouTube
livetune feat. 初音ミク 『Tell Your World』Music Video - YouTube