地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝」
dancyu11月号の東京旅行という特集が目に入り、買った。ユニオンジャックの怪物に致命傷を負わされ、東京には暫く行っていない。スカイツリーも見ていない。
東京に行く時は、この雑誌のタイトルと同じように、東京に旅する感覚で行く。東京プリンスホテルから目の前に見える東京タワーの夜景。明治大学のタワーに挟まれた山の上ホテルのbarで飲む水割り。中央線沿線の商店街の細かい所まで大切に手を入れられたひなびた感じの東京が好きだった。
大阪はそういう訳にはいかない。西成のスーパー玉出の前では、血気盛んなおっちゃん達が今日もデッキブラシでどつきあっている。そう。大阪。
大阪の京橋駅のすぐ近くに蒲生墓地という場所がある。一般には、蒲生墓地と呼ばず「京橋立ち飲みストリート」と呼ばれている。
アイランドのような形をした墓場の周囲を、立飲み居酒屋がびっしりと取り囲んでいる。だから、一見、中心が墓場だとは分からない。南側が少し高くなっており、その様子を見下ろすことができる。僕は敬愛を込めて、その酒場を蒲生墓場と呼んでいる。居酒屋の壁一枚で墓場と隣あっている。
グーグルストリートに写っている岡室酒店直売所は、まさに中島ラモさんもこよなく愛した酒場。その他にも味がありすぎる立ち飲み屋がたくさんある。南側の屋台ではあるが、とよには、ネタのブツ切り具合に衝撃を受けるだろう。
この墓地裏の居酒屋で「お兄さん、お姉さん、アンタの壁一枚向こうは、墓場だよ」と心の中で呟やきながら飲むのが好きだった。実際に呟かなかったのは、僕もそのシチュエーションが好きだったからだ。あるいは、酒場と名がつけばどこでも好きなのかも知れない。アドレナリンの入り過ぎた脳をクールダウンすることができた。
蒲生墓地は江戸時代から続く、大坂七墓巡りの一つという由緒正しい墓所で、何か人を惹きつけてやまない雰囲気がある。
「大阪七墓巡り」とは江戸時代の大阪町衆の風習で、毎年、盆になると市中郊外の七墓(梅田、南濱、葭原、蒲生、小橋、千日、鳶田)を巡り、有縁無縁を問わず「同じ大阪に住んでいた町衆、先人ではないか」とその霊を慰めたもの。また江戸時代中期・後期ともなると若い男女のデートコースとしても活用されたようで、町衆は自由闊達に「遊び心」を持って七墓巡りを楽しんだという。しかし残念ながら明治維新以後の、近代都市化によって消滅した。
この大坂七墓巡りを復活させようとする粋狂なフェイスブックページもあるようだ。 個人的にも、江戸時代のように衆目を集める墓場であって欲しいと願ってやまない。
今は、立ち飲みの聖地、蒲生墓場では飲まない。モンスターにグリグリと死線の壁に押しつけられすぎたようだ。その壁際では、酒を楽しめなくなっている。大阪駅から電車で10分もかからない距離だけど、とても遠い気がする。記憶に残る風景。時々、あの墓場なのか酒場なのか良く分からない場所に行ってみたくなる。しかし、行くことはないだろう。
「お兄さん、お姉さん、壁一枚向こうは墓場だよ。少し壁に近づき過ぎではないのか」とやさしくアドバイスすることはできるだろう。そう語りかけることがあるとすれば、彼等には、僕の声は聞こえても、僕の姿は見えないだろう。ここに還ってきている。