アーキペラゴを探して

デニム、ヴィンテージ、旅、レビューのブログ

愛と宿命のライカ / Leica M3

goodbye my friend, thank you for the memories [explored]
goodbye my friend, thank you for the memories [explored] | Flickr - Photo Sharing!

 

父親の遺品を整理していたら、バルナックのライカが出てきた。

削り出しのシルバーソリッドにはシャッターボタンと三つのダイヤルがついている。真ん中のダイヤルには、1000、500、200、100、シャッタースピードの数字が精密に刻まれている。両側のダイヤルはフィルムを巻き上げる軸に連結している。巻き上げレバーではなく右側の滑り加工をほどこしたダイアルを廻すことでフィルムが巻きとられる。ボディについているレンズはエルマーの50㎜。沈胴式といって、使用しない時には、レンズのシャフトは格納され、28㎜ぐらいの長さになる。30年間製造されたLマウントのレンズ。

硬質な物体はいつも残るけれど、身体は粉々に砕かれて灰となってセラミック容器のなかに落ちる。白いashアシュは二度と復活することはない。はじまりがあっておわりがあって、二つの軸に巻き取られながら無慈悲に切り取られる。

ボディをひっくり返し、埋め込みのリブを回転させて底蓋を外した。バルナック型のフィルムの入れ方と沈胴式レンズの仕組みをぼくに教えたあと死んでしまったことを思い出した。フィルムを垂直に差し込むように入れるので教えてもらわないと確かに分からない。死ぬ前にこれだけは教えておかなきゃと思ったのが笑える。しかし、ほかにもっと教えるべきことはあったのでは? もっと楽しいこととかなんとか。

オマエの無駄遣いのおかげでどれだけ苦労したと思ってるんだばかやろうと思うけれど、エルマーのレンズを優しく見ている自分がいる。それにしても、なんでM型がないんだ?

よく思いだすまでもなく、メカニカルのM3は、腹違いと言われている妹にぼくが勝手にあげたからだ。ほとんど新品だったし、写真をやりたいとか言ってたし。未使用に近いM3でも借金の額に比べれば焼石に水、ぼくは、父親が好きなR型があればそれでよかったと思うことにしている。M型を彼女にあげるということは、この先、写真は撮らないということを意味していた。写真の道に進むことはないなと。それだけ、M3の機械的なシャッター音は、他のカメラとは違って聞こえた。彼女はありがとう、と言っていた。そのぐらいしかできることはなかったんだよね、実際は、借金の鉄火場というか、それどころじゃなかった。こっそり、Mを逃がしたということはあるのかもしれない、ズミクロンの50mmをつけて。

ライカを特集した雑誌を見ると、まったくいまの話と関係ないんだけれども、写真家が自慢するライカは見事にM型ばかりだ。なんて悪趣味な特集なんだろう。

ばかやろう、と笑いながらページをめくる。どれもこれもMらしい素晴らしい写真だ。彼らがこの写真を撮るために払った代償がいかほどかはぼくには分からない。想像がおよばない、およんでほしくないよという気持ちは唯一、彼らとシェアできるだろう。それぞれの愛と宿命があるのだろう。

このような写真は偶然ではなく、精神の強度と精度により世界から切り取ることができると理解している。その強度と精度にこたえられるだけのリアリティがMにはあると彼女に渡した時ぼんやりとそう思っていた。

  

Pen(ペン) 2015年 3/1 号 [最後に聴きたい歌。]

Pen(ペン) 2015年 3/1 号 [最後に聴きたい歌。]