アーキペラゴを探して

デニム、ヴィンテージ、旅、レビューのブログ

ソフィストに学ぶブロガーの精神(ホームページからの卒業)

今週のお題「卒業」

1990年代後半、28.8kbpのモデムでインターネットにダイヤルアップした。本を見てホームページをつくった。タイトルは、Welcome to Nobujirou's Home Page 。ホームージは学級新聞だった。ここにコラムが欲しいなとか、あそこにはイラストが欲しいなとか、ひとり工夫しながら自作自演した。学術的なホームページもタイトルは、Welcome to ○○'s Home Page 。つまり、みんなで、ウェルカム、ウェルカムやっていた。ホメパゲと揶揄する人たちにもウェルカム、だれでもウェルカム、それがインターネットの精神だった。

2000年に入ると、未開でGIFアニメがチカチカする雰囲気は薄れ、どこかマネーとアドバータイズメントの匂いが漂いはじめた。2001年にはホームページをつくるのをほぼやめていたように思う。2014年にこのブログをはじめた。インターネットには13年のブランクがある。13年も一心不乱に酒を飲み続けていたのかと思うとおそろしくなる。

 

ホームページとブログの違いは何か?

ブログを書こうと思う。しかし自分が書いているものはブログではないような気がする。どちらかというとホームページの延長で書いている。「アマン東京」と「どて焼き」と「のら猫」の記事が同居している。「人称」も混在している。

映画『ゴーン・ガール』で「あんた、ブロガーが来てるわよ」、そんなセリフがあったような気がする。まったくなかったかもしれない。パーティーや事件の記者会見にブロガーが獰猛な鮫のようにかけつける。イメージで言うとモーターだ。マブチ360モーター。モーターを内蔵したブロガーがその機動力を活かして記事を書きまくる。

めまぐるしく変化する時事ネタにオフローダーのように追随するブロガーを考えてみたい。『ゴーン・ガール』で言及されているような、ど真ん中のブロガー。なんとなくニュアンスはわかってもらえると思う。 

「どうしてやつらはあんな芸当ができるんだ? 」
「毎日毎日なんてとても書けやしない」
「ブログを書くにはモーターがいるってことさ」

 モーターをエンジンと言い換えてもいい。ブログを書くのに必要なのは、学級新聞を切り貼りしてつくる手先の器用さではなく、ブログを書き続けるエンジンだった。そのエンジンの源流を知りたい。

 


ぼくはブログエンジンのプロトタイプを探して、旧世界の知を探った。プラトンから読みはじめて、プラトンで核心に到達した。ソフィスト。学校でも習った忌むべき弁論家。*1 ソクラテスやプラトンが批判するソフィストの心臓でまさにブログエンジンが激しく駆動していた。プラトンは言う。すべての目的は「善のイデア」に到達することだ。つまり正しい知識に到達することが重要である。一方、ソフィストは正しい知識など問題にはしない。大事なのはドクサ。思わくである。

 

大事なのはドクサ(思わく)

ブックマークがたくさんついたブログ記事読んで驚いたことがある。おそらく、書いてる人はそれが正しい知識を目指して書いてはいなかった。そこから外れたところで書いている。つまり、本人が認識していることではなく、こう書いたらとりあえずの(正)であり、読まれるだろうなということを書いている。ドクサ(思わく)を書いている。

(正)が分かっていても、議論が深まるならば、(誤)を書くことをためらわない。地に落ちる一粒の麦となっても。知識ではなく思わくでこそ、洞窟内の最善に到達できる。ブログっぽいなと思う。これがぼくが驚いたブロガーの精神。ブロガーの記事だ。
プラトンが書いた『国家』の7章から引用する。プラトンが政治家について語る内容がソフィストの在り方を良く表現している。

 

(洞窟の壁にうつる)つぎつぎと通り過ぎて行く影を最も鋭く観察していて、そのなかのどれが通常は先に行き、どれどれが同時に進行するのが慣いであるかをできるだけ多く記憶し、それにもとづいて、これからやって来ようとするものを推測する能力を最も多くもっている者

 

最も卓越したトップブロガーを連想しないだろうか。そして、「(洞窟の壁にうつる)つぎつぎと通り過ぎて行く影」というのは、たとえば、最近できた「はてなブックマークトピック機能」を意味している。話題の潮目を読んで、「これからやって来ようとするものを推測する能力を最も多くもっている者」がトップブロガーとなる。話題を先読みする力、話題に即応する瞬発力が必要となる。だから、ブロガーになるためには、ソフィストに学ばなくてはならない。ソフィストになるのではない。ソフィストの精神を参考にするのである。

 

 

「知識」より「思わく」。現代のインターネットでは、プラトンやアリストテレスが葬り去ったソフィストの技が一層重要となるだろう。ソフィストの位置づけは変わり、ブロガーの神として復活するだろう。だが「善のイデア」を求めてきた人間が「思わく」を学ぶのは難しい。何年かかるか分らない。「思わく」をマスターしたときに、ぼくはホームページ的ブログを卒業していると思う。しばらくは、ふたつの月が昇るようなブログ銀河の辺縁系から、はるか遠くの星雲の明滅を眺めていたい。

 

黒い翳りは星の墓場だ。洞窟の真実に到達するために、思ってもいないことを書いて捨石になったブロガーを見た。ある作家は言ったかもしれない。ブロガー、それは、壁の前に立つ卵だ。ぼくは、壊れる卵であることを選ぶと。あるナウシカは言ったかもしれない。ブロガー、それは、絶望の朝を越えて、血を吐き、繰返し繰返し飛ぶ鳥だ。  

 

ソフィスト関連書物 
ゴルギアス (岩波文庫)

ゴルギアス (岩波文庫)

 

 

パイドロス (岩波文庫)

パイドロス (岩波文庫)

 

 ゴルギアスとパイドロスはソフィスト・ファースト・エイジの双璧。

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

  

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

 ソフィストとグレート・ソクラテスの対話、最高峰。

*1:【ソフィスト】前5世紀から前4世紀初期のアテネを中心に,当時のギリシア世界を遍歴し,授業料をとって百科全書的学識一般,特に弁論術を教えた一群のギリシアの知識人。彼らの弁論術がなによりも説得を目的としたものであったため,客観的真理の問題や倫理的価値の規準などという問題が捨象される傾向にあった。(コトバンク)