1. ウィトゲンシュタインの建築とは
90年代後半には閉店していたと思うが、西部美術館の横に「アール・ヴィヴァン」というアート系書店があり、アール・ヴィヴァン叢書というB4版の冊子を出していた。各冊子は決まったアーティストやムーブメントを特集し、16号は『ウィトゲンシュタインの建築』だった。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの命題はあまりにも有名である。この言葉が含まれる『論理哲学論考』の草稿は、第一次世界大戦に従軍しながら書かれたと言われている。
この冊子は、ウィトゲンシュタインが設計した実姉の家(ストロンボウ邸)について書かれた内容である。著者はバーナード・レイトナー。日本語訳は建築家の磯崎新氏。表紙に書かれている説明の引用。
ウィトゲンシュタインの人生において、「哲学する」ことは唯一の領域でも、中心的な領域でもなかった。彼の才能はたまたま哲学において優れて表現はしたが、なによりも彼は「完全なる人間」の一人であった。彼の創造力は二年間、建築領域へと向かい、そこで自身の明晰さと審美能力に対する飽くことのない挑戦を試みたのである。その禁欲的即物主義の建物は、建築領域に対する非専門家の侵食がどれほど豊かなものになり得るかということを、<家になった論理学>という形で例示している。
本文からの引用。
ウィトゲンシュタインの建築的言語は、ごく限られている。(中略)ホールの表相は、特殊な硬質スタッコで、その自然の淡灰色のまま、仕上げられた。ホールにはたったひとつの電球しかなかった。材料は全体に落着いて渋いものだが、決して穏健というわけではない。
ウィトゲンシュタインは、絨毯、シャンデリア、カーテンのような内部装飾部品を、この建築の明晰性と厳格性と、およびその磨かれた正確な表層と相容れないとして、徹底して拒絶した。限られた要素でウィトゲンシュタインによって使用されたやりかたは、複合的で、その全面的に内的関連を研究されつくしたプロポーションはこれらの空間をもった建築に非主題的に決定づけられた性格を与えている。
空間的な場所と論理的な場所は、両者とも存在の可能性だという点で一致している。(草稿1914-16)
ウィトゲンシュタインは、言語や論理を純化し、その限界を突き詰めたように、建築でもその構成の限界を突き詰めた。言葉と建築(世界)の関係を知覚と認識のギリギリまで追求している。だから、ウィトゲンシュタインの哲学を理解しようと思えば、言語と対となる建築を併せて考えることが理解の助けになるのではないかと思う。
次のページによれば、現在は、ブルガリア研究所として使われているそうである。内部の写真も何枚か見れる。
ブルガリア文化研究所 ヴィトゲンシュタインハウス-フォートラベル
この冊子を読んだ1985年は、ポストモダン建築が流行していた。ポストモダン建築よりも、装飾をなくし、ひとつひとつのパーツを極限まで突き詰めたウィトゲンシュタインの建築に魅了された。建築表現としては、モダニズムよりも、より自由度の少ないミニマリズムの表現に類似している。しかし当時は、「ウィトゲンシュタインの建築」を形容する適当な言葉を思い浮かばなかった。
ウィトゲンシュタインの建築について、名付けようのないイメージが、長年もやもやしてしていた。最近、ミニマリストという言葉を良く耳にし、何かの思いつきで、「究極のミニマリスト」という言葉が浮かんだ。かなり外れてはいるけれど、ようやく「ウィトゲンシュタインの建築」を言葉として形容できたという感じだった。
究極のミニマリストによる建築。安易な表現だが、まったく理解できなかったウィトゲンシュタインの哲学を理解する糸口というか、取りかかりになるのではないかと思った。
ここで、ひとつの疑問が湧いた。このアール・ヴィヴァン叢書が出版された時に、ミニマリストという言葉は存在していただろうか。ミニマリストという言葉が一般に使われていたならば、その時そう思ったはずである。ミニマリズムという言葉は、アートの世界では確かにあったと思う。
2. ミニマリズムの歴史と再定義されたミニマリスト
【ミニマリズムの歴史】
「美術・建築・音楽などの分野で、形態や色彩を最小限度まで突き詰めようとした一連の態度」をミニマリズムと呼ぶ。ミニマリズムの原理に基づくミニマル・アートは、アクションペインティング等への反動から、アメリカで60年代から展開された。ミニマルは形容詞。ミニマリズムを実践する人がミニマリスト。
ミニマリズムの考え方を表すものとして、建築家のミース・ファン・デル・ローエの「Less is more(少ないほど、で豊かである)」*1という言葉が良く例示される。
ミニマリズムデザイン全般の歴史について書かれたページ。このページでは、ミニマリズムのデザインは、ヴィジュアルではなく、原理であると指摘されている。
5分でわかるミニマリストデザインの歴史と実践ガイド | SEO Japan
【リーマンショック後のライフスタイル系ミニマリスト】
90年代でもミニマリズムやミニマルは、一般に使われる言葉ではあったが、ミニマリストという言葉はあまり記憶にない。当時使われるミニマリストは、社会学とか言語論で使われる学術用語だったと思う。
他にも、チョムスキーが『ミニマリスト・プログラム 』という本を書いている。
2014年現在使われているミニマリストは、極限まで物を持たないシンプル主義者として、新たに定義されたような感じだ。では、今のミニマリストはいつ頃から使われるようになったのであろうか。
調べると、新しいミニマリストという言葉は、2009年頃から海外のサイトで使われ出したようだ。2008年がリーマンショックだから、2009年には僕も強制的にミニマリストになっていた。リーマンショック後、お金とのズブズブ関係を見直したことに関係がありそうだ。もう少し調べてみると、ザ・ミニマリスツ(The Minimalists)という提唱者ユニットがアメリカにいることが分った。僕が知らなかっただけで、かなり有名なようだ。
『minimalism 〜30歳からはじめるミニマル・ライフ 』
ジョシュア・フィールズ・ミルバーンとライアン・ニコデマスの2人組、ザ・ミニマリスツ(The Minimalists)は、もっと少ない所有物でもっと意義深い生活を送ることを探求、実践するユニット。
ザ・ミニマリスツのwikiページを見ると、今に至る、ミニマリストの流れが分る。
The Minimalists - Wikipedia, the free encyclopedia
彼らのウェブサイト。このウェブサイトの立ち上げが、2010年12月14日。その後、日本では、2012年に高城剛氏の『LIFE PACKING 未来を生きるためのモノと知恵』が出版されたり、ノマドという考え方が流行する。
ザ・ミニマリスツは、『minimalism 〜30歳からはじめるミニマル・ライフ』の中で、ミニマリズムを再定義する。
ミニマリズムとは、幸せと満足感と自由を見つけ出す目的で、人生において本当に大切なものだけにフォーカスするために、不必要な過剰物を取り除くためのツールである。
3. ミニマリズムの系譜を探る
ライフスタイル系のミニマリストとデザイン系のミニマリストの出所が同じかどうか気になってきた。ザ・ミニマリスツのWikipediaには、「偶然、ミニマリズムとして知られるライフスタイルを知った」と書かれている。一応、同じ系譜であることは確認できる。
ライフスタイル系ミニマリストが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』に良く言及しているのが、気になるところである。超絶主義者のソローがウォールデンで暮らしたのは、ネイチャーライフであって、ミニマリストとは違う。定職を持たず職を転々としたソローは、今生きていても最先端の生き方という感じで興味深い。偉大なグランド・マスターといった感じだ。確かに、ソローの思想は、今のミニマリストが共感するような考え方が多い。脱線した。
そもそも、1960年代のミニマリズムという言葉は、どこから来たのか。百科事典マイペディアにはミニマル・アートの言葉の由来が書いてある。
1965年に英国の美学者リチャード・ウォルハイムが,デュシャンやマレービチ,ラインハートらを論じたエッセーのタイトルから転用された語。あえて訳せば〈極小・最小の芸術〉という意味になるこの用語は,1960年代に米国で展開した美術の動きを指すようになった。
リチャード・ウォルハイム氏のエッセー*2が、ミニマルの発生点ということだ。リチャード・ウォルハイム氏は分析美学や分析哲学を研究し、分析哲学に大きな影響を及ぼしたウィトゲンシュタインを参照している。ウィトゲンシュタインのフォロワーと言える。ウィトゲンシュタインに対して、ミニマルの形容は、まったくの的ハズレという訳でもなさそうだ。「芸術は人生の一形式だ」(リチャード・ウォルハイム) *3
ウィトゲンシュタインを形容するためのミニマリストは、今のライフスタイル系ミニマリストではなく、1960年代から続くミニマリズムの実践者の意味で使うこととする。今だけ、ライフスタイル系ミニマリストから、この言葉を奪還する。
4. ウィトゲンシュタインは究極のミニマリストか
ウィトゲンシュタインの建築は、誰もが衝撃を受けるものの、適切な評価ができなかったため、評価が確立することはなかったと言える。突出した天才に良くあることだ。それに、ストロンボウ邸が建てられた1920年代には、ミニマリズムという言葉もなかった。
ストロンボウ邸をヒントに、ウィトゲンシュタインはミニマリストかという問いに基づいて、ミニマリズムのLess is moreの原理と対比して考えてみる。
lessは無駄を削ぎ落とすということだから、ウィトゲンシュタインの建築や思想のイメージにあいそうである。moreはどうだろうか。豊かということである。
ウィトゲンシュタインは、厳密な哲学者のイメージとして一般に理解されているが、意外なほど、幸せとか、幸福な人生に言及している。志向的には、moreの領域にあてはまるのではないかと思う。そうした言葉の引用。
「幸福に生きよ!、ということより以上は語りえないと思われる。」
(ウィトゲンシュタイン『草稿』1916年7月8日)
「幸福な世界は不幸な世界とは別ものである。(六・四三)」
この言葉は、極端に解釈すると、幸福は不幸とは関係ないと言ってようだ。究極の生きる意志を感じる。
ウィトゲンシュタインにとっては、言語と論理を突き詰めることが、(幸せに)生きることであったようなイメージを漠然と抱いていた。限界を歩くことで、ようやく生きることを実感できるような。世界は、誤謬や欺瞞が蔓延るいい加減な牢獄なように見えたのかも知れない。これでは発狂してしまう。ストロンボウ邸のような、言語と論理が純粋に支配する厳格な建築。世界を突き詰めて生きるしかない。
ストロンボウ邸においては、ウィトゲンシュタインの哲学と建築が非妥協的に一致している。姉であるストロンボウ夫人が、ウィトゲンシュタインに設計を頼んだのは、戦争後、患っていた神経症の治療のためであったという。
Less is More
世界の突き詰め is 幸せに生きること
ミニマリストという言葉を聞いて、僕の頭の中でこのように重なった訳である。だから絶対究極のミニマリスト。あてずっぽうの形容というよりも、ウィトゲンシュタインを理解するために引いた補助線のようなものだったかも知れない。だが、ウィトゲンシュタインに対する長年のモヤモヤした想いは、一旦リリースできるだろう。
「ウィトゲンシュタイン 幸福」で検索すると、この内容で書かれたブログがたくさんあった。グーグルがしっかり機能している! アメブロ、はてな、ブロガー、ヤフー、ヤプログから代表エントリーを一つずつ。この検索ワードでヒットする他の記事も面白い。
「幸福に生きよ!」-ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』|woodbee
本を読む楽しみ A glutton for reading: 哲学問題の全ては解決されたのか
ウィトゲンシュタインの幸福論 - エレクトロ・ワールド〜夜型ゆかちゃんのブログ〜
本当に意味のある人生」とは、「本当の幸福に生きる人生」だけ :: Alter ego(アルテール・エゴ)
ウィトゲンシュタインの最後の言葉は、「彼らに私はすばらしい人生を送ったと伝えてください」*4であったと言われている。
5. 関連書籍
建築関連として、
アールヴィヴァン叢書の書籍版。ほぼ同じ内容。アールヴィヴァンの冊子は、アマゾンの中古で出ることもあるけども、書籍版より高い。今は、1冊出品されていて、4000円! (元は1200円)

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退廃的ウィーン世紀末文化のなかでのウィトゲンシュタイン哲学の定位。当時のウィーン建築との比較が重要というブクマコメントの指摘により追加。確かに。
ちなみに、モダニズム建築との比較では、ル・コルビュジェのサヴォア邸が1930年に完成する。ストロンボウ邸は1928年完成。コルビュジェの建築は、当時の絵画の影響が見られる。ウィトゲンシュタインの建築は、ウィトゲンシュタインの影響しか見られない。
著作として、

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生前刊行した著作。前期の哲学。
およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない。
後期の哲学。ダイヤの原石のような言葉が溢れている。
私たちは歩きたい。そのためには摩擦が必要だ。ざらざらした地面に戻ろう!
ざらざらした人生を生きているだろうか。
入門書として、
評価の高い入門書。アマゾンのレビューを見ているだけで面白い。ウィトゲンシュタインへのレビュアーの思い入れが伝わってくる。

ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951 (講談社現代新書)
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近年発表された草稿類も参照して書かれた内容。ウィトゲンシュタインのメモや草稿、考察など、思考の展開や発展が解説されていて分りやすい。そのことにより前期と後期の連続性も納得。「言語」と「生」をウィトゲンシュタインの二大テーマとし、「生をめぐる思考」に独立した章があてられている。

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論考の入門書。コアな部分。
ウィトゲンシュタインなので、コメントも難しく、ただ並べるだけになってしまった。理由としては、理解することを切望するものの、多くは理解できなかったということである。
その他として、
超訳シリーズ。今風の編集によるウィトゲンシュタイン。アマゾンレビューは炎上中。ウィトゲンシュタインの生に関する言葉は、一貫して、強い力があるので、こうした本ができることは理解できる。レビューの中に、自己啓発的にウィトゲンシュタインの言葉を使うべきではないという意見があり、考えさせられる。一方で、ウィトゲンシュタインは、「生の思想」を通してでも、もっと広く知られるべきではないかという気はする。さすがにこの編集は極端だけど。