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佐喜眞美術館で邂逅する深淵(ケーテ・コルヴィッツの芸術と沖縄戦の図)と幾つかのツイート

8月30日にEテレで佐喜眞美術館が所蔵するコルヴィッツのコレクションが紹介されました。この番組は好評のためアンコール放送となりました。11月7日(土)13:00-14:00に、アンコール再放送されます。

以下の内容は、この番組の簡単な紹介と、この番組に関して思い浮かんだ幾つかの各所についてのメモになります。内地の人たちが知っておくべきと思う幾つかの場所です。

目次

 

A.そこなわれし人々のなかに-沖縄でコルヴィッツと出会う

佐喜眞美術館には多くのケーテ・コルヴィッツのコレクションがあります。

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ケーテ・コルヴィッツは、20世紀前半のドイツを代表する芸術家です。ナチス時代の極限状況を生き、貧困と戦争を描きました。

写真のエッチングは1908年の「農民戦争」7枚のうちの1枚。 魯迅が高く評価した1枚です。

ケーテ・コルヴィッツ - Wikipedia

 

 番組の語り手は、館長の佐喜眞道夫氏と作家の徐京植氏です。二人がコルヴィッツを語り、その合間に、沖縄戦や佐喜眞美術館やコルヴィッツのコレクションを通した韓国や中国との交流が紹介されます。

番組名は「(こころの時代~宗教・人生 シリーズ 私の戦後70年)そこなわれし人々のなかに-沖縄でコルヴィッツと出会う」です。

11月1日にこの番組はアンコール放送されました。11月7日はアンコール再放送になります。 

その案内の絵葉書が佐喜眞美術館から送られてきました。上掲の「農民戦争」の絵葉書がそうです。 これは宛名書きの面です。

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沖縄と邂逅(エンカウンター)し、沖縄を深く知りたい方におすすめしたい番組です。

  

 

B.内地の人たちに知ってほしい沖縄の各所についての覚書き

 佐喜眞美術館からの絵葉書を見てつぶやいたツイートです。

 

 地名だけを書いた断片的な内容なので、この機会に少し内容を補足してみようと思います。以下は、重い内容になります。

 

佐喜眞美術館

 何年かに一回、那覇からコザまで時間をかけて歩きます。*1 その途中、普天間にある小さな美術館に寄ります。

それが佐喜眞美術館です。 

佐喜眞美術館 | Sakima Art Museum -  丸木位里・丸木俊「沖縄戦の図」

 

佐喜眞美術館の屋上

これは美術館の屋上の写真です。階段の先にはある景色がひろがっています。

佐喜眞美術館のコレクションで、有名なのが、「沖縄戦の図」です。番組でも少し紹介されますが、描きこまれた表情や細部がわかりません。ですので、実際に自分の目で見てもらいたいと思う絵画です。

辱めを受けぬ 前に死ね、

手りゅうだん 下さい  

鎌で鍬で カミソリでやれ

親は子を夫は妻を 若者はとしよりを

エメラルドの海は紅に

集団自決とは 手を下さない虐殺である

 この絵に書かれた詩の引用です。

沖縄戦で何が起こったのか、この絵を見れば一瞬でわかります。

この絵を見て、芸術の本質は、一瞬で物事を伝える力だと考えるようになりました。ルオーの作品も幾つかあります。ルオーも見ていると臓物をわしづかみされているような気分になります。 

 

番組でも紹介されていますように屋上から普天間飛行場も見えます。屋上の階段の先の風景です。

佐喜眞美術館からの景色

 

佐喜眞美術館への交通・アクセス

コザ方面のバスで行った場合、上原というバス停で降りますが、美術館は330号線から中に少し入ったところにあります。

佐喜眞美術館の案内ページでわからない場合はグーグルの地図を参考にしてください。バス停から美術館までの徒歩経路を入れました。 

時の眼ー沖縄―復帰40年の軌跡 比嘉豊光・山城博明写真展図録集

時の眼ー沖縄―復帰40年の軌跡 比嘉豊光・山城博明写真展図録集

 佐喜眞美術館で販売されている図録集。歴史的なモノクロ写真が数多く掲載されています。個人的にはたえず読み返している本です。

 

辺野古

2013年9月の辺野古の海

2013年9月の辺野古の海。埋め立て承認前の景色。

 今は気軽には行けない場所になってしまいましたが、2013年は視界を横切るオスプレイを見ながらテントで座り込みを続けるおじさんたちと笑い話をする余裕がありました。この日は座り込み3434日目。人もほとんどいなくて平和でした。

  

摩文仁の丘(まぶにのおか)

摩文仁の丘は、いわゆる沖縄平和記念公園の辺りの海に面した丘。少し奥にある日本軍の組織的抵抗が終焉した海に面した辺りかもしれない。6月23日の慰霊の日にはここで追悼式が行われます。

近くに有名なひめゆりの塔があります。   

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一番最初のひめゆりの塔です。左が壕です。後ろが新しいひめゆりの塔です。 

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奥に資料館があります。年間60万人が訪れます。

ひめゆりの塔から少し行ったところに沖縄平和記念公園・摩文仁の丘があります。 

 摩文仁の丘の一番先端に黎明の塔があります。第32軍司令官と参謀長を祀っています。

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ここを訪れる人はおそらくかなり少ないのではないかと思います。だからあまりない光景。

黎明の塔の脇に、健児の塔に抜ける道があります。 

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 健児の塔へ向かう途中に、かつて第32軍司令部だった壕(洞窟)があります。 ここで何があったかの説明は一切ありません。あたりまえと言えばあたりまえなんですが。

 

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第32軍指令壕。この壕の前にひろがる沖縄の海を見て、この壕の中で牛島司令官が割腹自決したのが6月23日。

 

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海には米軍の艦隊が迫っていたといいます。

孫に当たる牛島貞満氏の言葉。

軍隊は住民を守らない。沖縄戦から学んだことです。

牛島満 - Wikipedia

軍抗戦「住民に犠牲」 牛島司令官の孫・貞満さんが沖縄戦語る - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

 

ここから摩文仁の丘を下ると、健児の塔につきます。

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なんとも言えない小道なんです。普通に紹介もされていないし、観光客もあまり来ないのではないかと思います。よくわかりませんが。まだこのあたりの場所のことは語れる雰囲気ではないということはあります。

 

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沖縄に幾つかある「健児の塔」というのは「沖縄師範学校男子部等の生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑」。

鉄血勤皇隊は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。伝令なども、同じ文書を3人に持たし走らせ、そのうち1人だけがたどり着く、そのような任務であった。

沖縄師範健児の塔 | 那覇市 Naha City

 

ライカム

 沖縄にはライカムという少し特殊な場所があります。そのライカムに今年5月、イオンモール・ライカムができました。コザまで歩く途中で立ち寄った時の記事。 

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ライカムからコザはすぐ近くです。コザのライブハウスでCCRの「雨を見たかい」をリクエストしようとたら、ミュージシャンが自分たちで歌いだしました。 

「雨を見たかい」の歌詞はベトナム戦争のナパーム弾の暗喩と語り継がれていたけども、つくった本人はそれを否定しています。

だけど、ぼくはジョン・フォガティに聞いてみたい。本当に天気のことを歌った歌だったんですか?

 

コザ

コザの夜

那覇とコザは街の雰囲気がぜんぜん違う場所。コザンチュは那覇のことをどこか遠い都会のように語ります。

 

照屋黒人街のあった場所。差別やマイノリティを考えるうえでは沖縄でもっとも象徴的な場所かもしれない。照屋の対面のブロックもすっかり普通のまちなみになった。 

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 このあたりに住むおばあと、手前の建物を見ながら、向こうの花について話をした。

この花がこの場所で咲くことの不思議を笑った。それでも、花が咲くことはいいことだと思う、どんな花であれ花が咲くことはいいことだと思いたい、そんな話をしたんだと思う。

単なる覚書きというかメモだったんですが、カデナ、金武町についてはまたいずれ。

 

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*1: 今年は知花、嘉手納を抜けて西海岸まで歩きました。

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