アーキペラゴを探して

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鯨の歌を聴け / 北浦の捕鯨と鯨墓

時間を見つけて日本の捕鯨地を歩いている。捕鯨の伝統や文化は深く、現在の日本の捕鯨が置かれた状況を考えると、まだ何も言えないよなあというのが今の気持ちだ。沖縄も20年以上見て歩いているが、照屋の黒人街でそこに住むおばあと話した時もう何も言えなくなった。摩文仁の丘の海に面したあの洞窟を実際に覗き込んでしまうとそれ以上は何も語れない。

でもほんの断片的なことは伝えることができるかもしれない。最近行ったのは、山口県の通(かよい)という港町。山口県の最も北側の端っこのあたり。

 

 その前に、諸国の捕鯨の画像を幾つか見てみよう。捕鯨というのは、少し前まで世界の至るところで盛んに行われていた。 

 これは1849年の捕鯨の様子を描いたエッチング。

 

 これも1820年頃の捕鯨のエッチング。捕鯨は、ノルウェー、オランダ、アメリカで特に盛んだった。黒船が来航したのは捕鯨が目的だったのは有名な話。黒船は捕鯨船だった。

黒船来航 - Wikipedia

捕鯨に関するウィキペディアのヴォリュームは多い。幾つかの国が鯨を乱獲した。

捕鯨 - Wikipedia

捕鯨問題 - Wikipedia  

 

 これは安藤広重の1859年の版画。上の2つのエッチングとほぼ同時代。1800年後半になると近代捕鯨が導入され、古式捕鯨は姿を消す。

1946年に国際捕鯨取締条約が採択されIWC(国際捕鯨委員会)が設立される。IWCへの日本の参加は1951年。

 

 北浦の捕鯨と鯨墓

かつて、冬になると日本海にはたくさんの鯨がやってた。長門市青海島の北東部に位置する通(かよい)は捕鯨をなりわいとする港町。北浦最大の捕鯨地だったという。*1
明治も半ばになると近代捕鯨が導入されて編み式捕鯨の歴史は幕を閉じた。

 

通(かよい)の現在

通(かよい)

 古式捕鯨が終わっても、通には捕鯨の息吹は残っている。鯨祭りは毎年行われ、現在でもいにしへよりの鯨唄も歌われている。鯨組がコミュニティの中心だった。*2

 

鯨唄の様子

 むかしの鯨唄の様子。

 

そんな通に鯨の墓がある。

 

鯨墓

鯨墓

鯨墓は各地にあるが花こう岩でつくられたものは少ない。鯨の胎児70数体が埋葬されている。墓石にはこう書かれている。

業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果(業尽きし有情 放つと雖も生ぜず 故に人天に宿して 同じく仏果を証せしめん)

鯨墓の横の説明書きに意味が書かれている。

 鯨としての生命は母鯨とともに終わり、我等の手によって捕まえられたが、我々の目的は本来おまえたち胎児を捕るつもりはない。むしろ海中に逃がしてやりたいのだ。しかし、汝独りを海へ放ってやっても、とても生き得ないのである。どうぞ憐れな子等よ、我々人間とともに人間世界の習慣によって念仏回向の功徳を受け、諸行無常の諦観というか悟りをもってくるようお願いする。

  

通くじら祭りで使うくじら

鯨資料館の横には、毎年7月に行われる通くじら祭りで使うくじらが置いてある。

 

メインの港

湾に面したメインの港。

 

早川住宅

白い家が早川住宅。鯨組の棟梁の家。

 

魔除け

はやり病が流行ったとき軒先につりさげた魔除け。家の子どもの名前を書く。アワビ貝の真珠光に魔を退散させる呪力あると考えられた。

 

段集落の路地

段集落の路地。

 

段の港

段の港。ストリートビューでは見れない港。石積みの波堤が残っている。ここ何年かで最も印象に残った風景のひとつ。北側の港なので光と影のコントラストがものすごく強い。

もし行く機会があるのなら、日本人の心が原初的に持つ光と陰影を感じてほしい。

 

向岸寺

路地のつきあたたりには、鯨回向(くじらえこう)が行われる向岸寺。春になると鯨法会で鯨を供養する。当時、日本の仏教では人間以外は絶対に回向出来なかった時代。狗子仏性なんてことも禅僧は公案していたかもしれない。通の人たちは鯨の回向を願った。

 

JRみね線の終点である仙崎には、金子みすずの記念館がある。

金子みすゞ記念館

  

金子みすゞが鯨法会(くじらほうえ)の唄を読んでいる。金子みすゞの父方は、通の出生。

 

鯨法会

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁夫が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いています。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。

金子みすゞ「鯨法会」

 

アーキペラゴを探して 

 このブログのタイトルは「アーキペラゴを探して」。書いてる内容は、ミニマリストとか新国立競技場とかユニクロとかの記事ばかりで、自分で書くのも変だけど、一見、アーキペラゴ(群島)を探していなように見える。

それでも、そうした記事をグーグル アナリティクスでリアルタイムに分析していると、聴こえてくるものがある。島嶼に棲む見えない群れの息吹や巨大なインタレストやその向かうところ。もちろんまるで見えないときの方が多い。

このアーキペラゴは実際の島のこともあるし、日本がそもそもアーキペラゴ(島群)ということもあるけれど、「不可視な多島海」という意味を持たせている。自分が通という場所で書いたメモを読み返してそれを思い出した。

以前、はてなの中の人にブログタイトルの意味を聞かれてうまく答えれなかった。隠喩だけどもタイトルの説明。これに近いと思う。解題が130記事をこえてから言うのも変なんだけども。

 

アーキペラコで海亀の消息を尋ね、鯨たちの鳴き声を聞くだろう。

 

*1:北浦---下関市、長門市、萩市、阿武町のひろがる日本海沿岸部

*2: 通漁港 http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a16600/port/pdf/apd1_69_2006020627101213.pdf