那覇バスターミナルの曲線を名残おしく眺めていたら、帰りの飛行機に乗り遅れてしまった。乗り遅れちゃったという事実を空港ロビーでじっと噛みしめる。空港にいてもしょうがないので、うれし恥ずかし那覇に戻ってきた。
目次
那覇バスターミナルから最後の旅
那覇バスターミナルの看板。(以降、那覇BT)ぼくにとっての守礼の門だ。くぐるのはこれが最後。89番で糸満に向かった。*1
糸満バスターミナルはいつものようにあった
ほどなく着いた。糸満だ。バスターミナルあったよ。昔のままだ。糸満バスターミナルの雄姿。一体に見えるけれども、実は、建物の間には隙間があるんですね。
これがその隙間です。人生にも隙間とか歪みが大事なんですね。そこから隙間風が入ってきますから。庇の出が違うのもいい感じ。右側が琉球バス交通で、左側が沖縄バス会社です。運行エリアが違うので糸満BTで乗り換えるんですね。
周囲の街並みが外国みたいなんですよ。 近くには海もあります。
お腹がすいたので、バスターミナル付属の食堂で食べよう。やってるんですかね。やってました。 センター食堂。
「なにがおいしいの?」
「いったもん」
ということでトーフチャンプルを頼みました。
ごはんに添えられたアンダンスー(豚の脂みそ)がうれしい。すまし汁に入っているポークのかけらもうれしい。完食。那覇BTのみつ食堂も52年の歴史の幕を閉じた。これからはセンター食堂の時代だ。さよならみつ食堂。
スーパーの沖縄そばコーナーで連想した
那覇に戻り、サンエー安里店で沖縄そばコーナーを見ていた。
サンエーでは糸満そばと与那原そばが二大勢力だった。一見、糸満が強そうにも見えるが、与那原が押し返しているようにも見える。どう違うんだ? 外見的にはそばの色が少し違うかな…。
ちなみに、那覇と糸満と与那原は三大大綱ひきの地で、沖縄南部にトライアングルフィールドを形成しています。知ってました? *2 トライアングルといえば那覇BTだ。上から見れば三角形なんです。そしてふたつは相似形。
連想は不意に訪れた。前に与那原タクシーに乗ったとき、運転手のおじいが与那原は交通の要所だったと言った。軽便鉄道があったさ。与那原から那覇までの。農協が使ってるけど駅舎も残ってるよ。ケービン鉄道さー。
那覇BTに舞い戻り、38番で与那原に向かった。*3
車中、スマホで情報を集める。なんと。すでに取り壊したですとお? そのかわり同じものを建て直したですとお? 行って確認してみよう。
与那原はいいところとおじいは言った
あった。復元された軽便与那原駅舎。ピンクののぼりがハタめいていて復元のめでたい感じを演出しています。ディテールはどうでしょうか。
いい感じで復元されてますね。入口にヤンキー座りのおっちゃんが座ってます。おじさーん、格調高い写真に写っちゃうんですけど。
うん? おじいの復元でした。軽便鉄道の展示資料館になってるんですね。
入場料は100円です。入場券のデザインが凝ってます。
裏は昔の切符を復元してるんですね。左端にはシミも正確に再現されています。
展示施設では、那覇バスターミナルの敷地がケービンの起点駅であったことがさりげなく書かれていました。おじいやおばあの世代からすると、ケービンの那覇駅がなくなり、那覇BTになってしまったということかもしれません。嗚呼。
改札ばさみは断捨離の響き
置いてあった改札ばさみで入場券やら手持ちの紙をパチパチやりまくり。カチンカチンと響く金属音が断捨離感があって気持ちいい。旧JRっぽい仕様のはさみではありますが。
施設の後ろに古い駅舎の柱を残しています。那覇BTでもこんな素敵なトマソンは残るのだろうか。
何か異空間に来たような気分を感じながら、復元駅舎を出て与那原の町をぶらつきました。
与那原の酒場で熱烈歓迎
盛り場の入り口に来ました。ここも映画のセットのようです。
居酒屋に入り、ビールを一杯飲んで帰ることにしました。ご常連にどこから来たのと言われ、大阪から与那原駅舎を見に来ましたと答えると、熱烈歓迎を受けました。
かつひろという与那原でメジャーな泡盛を何杯もロックで飲んで前後不覚になり、深夜未明にタクシーで那覇に帰りました。東京や大阪のような飲み方もできるんですね。
*
次の日の夕方、桜坂の居酒屋に入りました。年季の入ったおねーさんに聞いてみた。
「那覇バスターミナルなくなるの残念だよねえ」
「あそこはむかし湿地だったさ」
壊れていくものに哀愁を示してもたいてい肩透かしを喰らう。
なにを今更といったところなのかもしれない。
さよなら那覇バスターミナル。
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