奄美に田中一村の絵を見に行った。
目次
田中一村の絵を見に奄美へ
奄美は大きな島であり、加計呂麻島などの群島に行くことを考えると本来は一週間は欲しいところ。ただ、田中一村にテーマを絞った場合は一泊二日でも可能だと思う。関東からはバニラエアの奄美行きが就航し、片道8000円からあるのでうらやましい。
「村上さんのところ」でも、田中一村の美術館がおすすめの場所として紹介されていた。
しばらく前に奄美大島に行って、田中一村の美術館を訪れました。僕は田中一村の絵が大好きなので。のんびりとした良いところですよ。もしまだ行ったことがないのなら、一度行かれるといいと思います。
奄美大島の美術館 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
自作のジャケットに田中一村の「オオアカゲラトルリカケス」使っていたりしていて少しおどろいた。
このあいだRichard Wyandsのレコードを見つけて一ドルで買ったんだけど、ジャケットがついてなかったので、自分でつくりました。(中略)絵はもちろん田中一村。僕はこの人の絵が大好きで、奄美大島まで見に行きました。住んでいた家にも行きました。
写真で近況報告 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
今回買った絵葉書。だいだい似たような絵柄を選んでしまう。ちなみに左側の絵が「オオアカゲラトルリカケス」。
絵葉書はプロポーションの関係からひとつの作品の部分なんだけども、力がある。
田中一村の絵を見ていると心に栄養が充足される。体に栄養が必要なように、心にも栄養が必要になる時がある。
田中一村(1908-1977)
明治41(1908)年、栃木県に生まれる。幼少の頃から画才を発揮し、若くして南画家として知られる。18歳、東京美術学校に入学するが2ケ月で中退。以後、中央画壇と一線を画し、50歳を過ぎて独り奄美へ移住。紬工場で染色工として働きながら絵を描き続けた。東京、千葉を経て、この奄美の地で亜熱帯の鳥や自然を描き日本画の新境地を開いたが、作品を発表することなく69歳の生涯を終えた。(田中一村記念美術館)
奄美に着くと曇っていた。二日目は雨だった。奄美は意外と曇りが多い。沖縄と違う雰囲気がある。田中一村の絵を見に来る場合、個人的にはだいたいコースが決まっている。まずは美術館。
(一日目)
1.田中一村記念美術館
空港からバスで5分くらいの距離に田中一村美術館がある。多くの点数を展示しているわけではない。もっと多く見たいとは思うが、このぐらいの点数がいいかなとも思える。「幼年期~青年時代」、「千葉寺」、「奄美」の三つの時代の作品を展示する構成。最も有名でオリジナリティーのあるのが奄美時代の作品。人が少ないのでゆっくりみれる。
一村の美術館は、奄美パークのなかにあり、他にも奄美の自然や歴史や文化をビジュアルに表現した展示施設がある。奄美には古い集落とか史跡はあまり残っていないようなので、歴史好きなひとは、いきなり現地をめぐるよりも、こうした施設で予備知識をあらかじめ仕込んだ方が良いような気がする。
バスで奄美の中心地、名瀬に行く。一時間ほど。次は、田中一村終焉の家。
2.田中一村終焉の家
名瀬からタクシーで15分ほど。名瀬周辺で何度か移り住んで最終的に住んだ家。名瀬でも古い建物は建て直してしまうので、奇跡的に残ったと聞いたことがある。
食事の用意中に倒れて亡くなられた。資料を見るとこの家に住んだのはほんのわずかな期間だけども、一村はこの家をとても気に入ったとどこかで読んだ。裏山があって、畑があって、庭がある。家を中心としたコスモロジーが成立している。
この家を見ながら、田中一村の絵をひとつずつ思い浮かべる。死の前年ぐらいから作品のイメージが明るい方向に変っている。絵をかき続けられたことへの感謝に重ねて、色鮮やかな魚や伊勢海老を描いている。
この1976年の作品から類推される田中一村が内面に持っていた豊穣な自然観と、実際にシンプルに棲まれた家との対比で最晩年の田中一村をイメージしてみた。
(二日目)
3.金作原原生林
田中一村は、ひとりでよく森に入ったということなので、奄美のふるい森は見ておきたい。モチーフにあらわれるしたクワズイモがたくさん見られる。
ヒカゲヘゴが印象的。モチーフにあるオニヘゴより大きい。散策ツアーでいく場合、午前と午後がある。名瀬から行って帰って三時間ほど。
NHK「日曜美術館」で、田中一村記念美術館が放映されるようだ。日時:4月12日 午前9時~(再放送:4月19日 午後8時~)
田中一村関連書物
作品も多数掲載される概説書。入門書として分かりやすい。
田中一村の伝記。
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