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田中泯が海水を撒くシーンが決まりすぎている / 朝ドラ「まれ」の見どころ

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本来、奥能登はあまり紹介したくないような気がする。日本でも景色がきれいでのんびりできる場所は「まれ」だからだ。今度の朝ドラ「まれ」は奥能登が舞台なので、思いっきり紹介されている。個人的に隠ぺいする必要もなくなった。

まず、最初に考えるべき問題として、この朝ドラを見るかということがある。一度見てしまうと、最後までつきあうハメになるので慎重に考えたい。実際、マッサンの最後の方は、なんだか学芸会みたいで、つきあうのがつらいと思ったひともいたのではないだろうか。

今回の「まれ」も良く考えずに、朝の習慣で見てしまった。第一回の終りで、田中泯扮する「桶作元次」が、塩田で海水を撒いていた。国営放送は、抜け目ないというか、いきなり核心をついている。

 

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奥能登には、何か所か塩田があって、今でも塩をつくっている。確かに、自分で撮った写真を見ると「桶作の塩」の看板がある。ここで撮影しているんだろう。噂を聞きつけて去年ぐらいに買いに行った。鉄腕ダッシュという番組でこの塩田の塩でラーメンをつくったということを聞いた。今後の宣伝は「まれ」になるだろう。

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 しかし、驚いた。田中泯の海水を撒くポーズが決まっているのである。あまりにも決まっている。 

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目の錯覚でなければ、絵から飛び出してきた人のように見えた。あの、教科書で見たことのある絵。ミレーの「種まく人」。種と海水の違いはあるが、田中泯は種まく人になった。 

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あと、誰かに似ていると思ったが、なかなか思い出せなかった。ようやく思い出せた。「南風」だ。和田三造「南風」の手前の人に似ているんだ。奥の人にも似ている。

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動くと「種まく人」、座ると「南風」。これはとんでもない事態だと思いますよ。あるひとりの人間が絵画で描かれた普遍的な世界に通じているわけですから。

だから、今のところ、まだ第一週が終わったところなんだけど、桶作元次が海水を撒くシーンが『まれ』のひとつの見どころと思う。


まれが事件をやらかしても、最後に、桶作元次が海水を塩田にビシッと撒く。
大泉洋が失敗やらかしても、最後に、桶作元次が海水を塩田にビシッと撒く。
脚本に煮詰まっても、最後に、桶作元次が海水を塩田にビシッと撒く。

番組はこれで決まる。まさに塩の効果。

 

とにかく、桶作元次が海水を撒くシーンを挿入すれば、ストーリーは、能登の自然に回収され、神話の世界になる。鬼気迫りながら舞う御陣乗太鼓は番組のハイライトとなるだろう(妄想)。「マッサン」で足りなかったのは、この決めだと思うんです。苦し紛れに「ピート臭が!」というのがありましたが決めとしては苦しかった。「あまちゃん」では、「じぇじぇじぇ」がありました。おもんないなーと思っても、「じぇじぇじぇ」を聞くと見た感じはした。朝ドラは単調になりがちなのでこの決めが大事なんですね。一回ごとに納得感というかまとまった感じが必要だと思うんです。

 

NHK連続テレビ小説「まれ」

 

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