読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アーキペラゴを探して

archipelago - 群島、島嶼、多島海、そのニュース。 脱領域への考察と情報

おひとりさまはぼっち席の彼方へ

雑文2

今週のお題「これって私だけ?」

ぼっちタイタニック | Flickr - Photo Sharing!

 

日本の大学でぼっち席なるものが設置されているという。大学の食堂にある六人掛けテーブルの真中に仕切り板を立てただけのものらしいんだけども。おひとりさまが利用しやすいカウンター席も増えているようですね。*1

理由としては、ひとりに見られることがイヤなのだそうである。「友だちがいなくて恥ずかしい」「ひとりでいることを笑われるのではないか」「友だちがいないことは人格の評価としては下の下」*2 死にゃあしませんよ。別にひとりでもいいんんじゃないかと思うんですが。違うんでしょうか。 

この辺の心理は正直わからない。ときどき無理心中したりするひともいるけれども、人間は死ぬときはひとりなんだから、ぼっちがデフォルトなんだけどな。心中したひとも、死ぬ瞬間には、おそらく心中相手の所在がわからなくなって、せっかく心中してはみたけれど、死ぬときはやっぱりひとりなんだなとしみじみ思ったと思うんだ。小学校の二年生ぐらいで、ひとは死ぬとき、自分がひとりであることを思い知るだろうと思っていた。「いずれ、あなたにも分りますよ」って。*3

いまは体調面からあまり食べれないけれど、焼肉が好きでよく食べ歩きをした。大阪の焼肉はだいぶ食べたので、韓国にも遠征してみた。15年ぐらい前におひとりさまで。ソウルからチョルラドを抜けてプサンまで。わりと適当に選んだ店で。ハングルが飛びかうなか、ひとりでロースターテーブルに座って、焼肉をもりもり食べていると、店のおばちゃん(アジュマ)が、こう食べろとかああ食べろとか離れないんです。ほとんどの店で。カルビはこう切れとかお肉が甘くて柔らかいでしょうとか。 

韓国は世話好きなひと多いなあと思っていたけど、そうじゃなかった。なかに日本語を話せるひとがいて言ったんです。焼肉とかそういった食事はみんなでわいわい言いながら食べるものだから、さびしいだろうから、アジュマがそばにいてあげましょうと。 

その時は、韓国のひとって優しいんだなぐらいに思ってたんだけど、なぜそうするのかまでには思い至らなかった。たぶん、いまのぼっちに対する認識と似ていたんだろうね。私はおひとりさまのつもりだったんだけど、韓国ではぼっちとして見られていた。少なくとも、20年ぐらい前は、ぼっちが恥ずかしいなんてことは日本では誰も思わなかったわけだから、ぼっち席のニュースを読んで、日本は韓国化しているんやろかと思った。こう思うのは私だけ?

 

スポンサーリンク