アーキペラゴを探して

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自由とお金はよく似ている

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自由とお金は別物と思っていたが、むしろよく似ていると思う。両方とも実体がない。両方とも使用してはじめて、その価値が生まれる。使うことがなかったら、もともと持っていないのと同じことになる。 

自由とお金がない場合、それを獲得しようとして、一生懸命努力する。つまり、自由とお金を得ることが目的となる。努力なのか運なのか、なんとか自由やお金を手に入れても、それが目的だった場合、一週間もすればやりたいことがないことに気づく。目的は達成されてしまえば、その後することはなにもないからだ。

 

すべてがFになる』を見ていると、西之園さんが、Fのもうひとつの意味は、Free、つまり自由であると言う。犀川先生と同じく、その仮説に強く同意したい。森博嗣氏は『自由をつくる 自在をつくる 』で、自由と言う時、一般に、それは「支配からの解放」を意味し、「自由の活用」にまで考えが及んでいないことを指摘している。 

重要なのは、自由とお金の活用だ。行使し、活用している時が最高の状態である。だから自由もお金もその獲得が目的ではない。
自由は保存のきかない生もの。一方、お金は蓄えとして保存し、後で活用することもできる。生ものと保存食の違いはある。だから、自由の方が活用は難しい。自由は行使できる時に活用しておかないと、そのうち病気や老化で、あっという間になくなってしまう。

 

 いかに活用するかが問題なので、自由とお金がありすぎても、うまく使えず手こずることが想定される。特に、それらを急に持ったり、活用能力がなかったりすると、ギャンブルとかアルコールとか、直接的な脳への刺激物を求めるようになる。そうなると、後は奈落へ一直線である。 

まったくなくても使えないので、この状態も良くない。何らかの量を手に入れた方がベターだろう。通常のケースでは、自由とお金は、ありすぎても活用できないし、まったくなくても困るので、活用能力にあった適正な量があるのが望ましい。自由もお金もそこそこあるのがいいという結論になる。これは詭弁だろうか。
自由とお金は、よく似ていて、限りある量を、うまく活用することにおいてのみその価値があると思う。

 

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